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憧れの人

 その人とは、学生時代のアルバイト先で出会った。

 会った瞬間から人を惹き込むパワーがあった。自他共に認める「運の強い人」。仕事でちょっとうまくいかないことがあってもそれをはねのけるプラス思考。バイト先での彼女の存在は日ごとに大きくなり、オーナー夫妻も一目置く存在に。元々経済的にも恵まれているうえ本人の行動力・運を呼び込む力もあって、充実した学生生活を送っている人だった。割りのいいバイトをやる要領がなく、8万円の仕送りでチマチマ暮らす私には憧れの存在。いろんな意味でその人にあやかりたいと思った。その人の影響で佐野元春のファンになった。

 ある時、横浜で佐野元春のコンサートがあるのを知ったのでチケットをとり、その人を誘った。「当日、ぎりぎりになると思うけど、会場で」とのこと。ひとり会場に行った。

 しかし…コンサートが始まっても彼女が来ない。2曲目、3曲目と進み、それなりに楽しいけどその人が来ないのがどこかに引っかかり集中できない。そうこうするうち休憩時間になってしまった。休憩後、もう来ないと判断してコンサートに集中。アンコールの「ガラスのジェネレーション」は涙ものだった。その後帰宅したが、その晩彼女から連絡はなかった。

 翌晩、思い切ってこちらから連絡してみると本人が出て「あら、ごめーん!実は…」つきあっている人と旅行に行っていて帰りに渋滞にハマり、間に合わなかったというのである。「彼もがんばって運転してくれたんだけどね…」それなら昨日のうちにでも電話1本くれよ、と思いつつ(当時は携帯はまだなかった)すっぽかされた自分を鼓舞する意味合いで「コンサート、とても良かった」と言ってみた。すると…
「あっそうなの。それなら途中から行っても楽しめなかったかも知れない。そんなんだったら行かなくて良かったわ。
えっ…すっぽかしておいてその言い方はあんまり…と耳を疑う私。こんなとき、自分の感情を表せず絶句してしまうのが私のソンなところなのである。絶句したままの私に「あ、そうそうゆうべは遊民ちゃんちに泊まったことになってるから」と言って電話は切れた。「行かなくてよかったわ」のセリフには驚いたが、あくまで私の「コンサート、とても良かった」の言葉に対抗した気持ちと解釈、受け流してその後も彼女とのつきあいは続いた。

 その後、彼女は「やりたい仕事がない」ということで就職することなく彼と結婚、地方に転居した。当時自分の問題でどん底気分の私だったが、お祝いごとには全て参加した。「アイツ(彼)も親がかりで、まだまだ甘いトコあるからね~」と言っていたが結婚の支度はすべて親がかり。「向こうに行ったら、人に会う仕事がやりたい」と言っていたが程なく何より念願の母親になり、もちろん母親業優先。親が大喜びで、本人も充実しているのだから別にいいのだが、「女性の「運が強い」って所詮こういうこと…?」と庶民の私には何か納得がいかなかった。

 私は「頑張ったけど、結局何もかもが裏目に出て消耗しきった」会社員を10年やったのち退職。退職の連絡はしたが社員の経験もなく人生の次のステージに進んでる彼女にはOLの話は興味なさそうだった。彼女の友人と私がトラブルになったこともあり、こちらからは連絡しにくくなった。そして年賀状も来なくなった。

 私は派遣社員として再スタート。小さな生活になったがシンプルで身の丈にあった生活のおかげで風通しの良い人生になり「生きててよかった」と思える30代だった。やはり恋愛にはご縁がなかったが、それ以外はとても楽しく遅い青春を満喫していた。彼女のことは時折思い出したが、主婦業をエンジョイしてるだろうと想像するしかなかった。

 昨秋、昔のバイト先のその後が気になりネットで検索してみた。すると…彼女のブログにヒットした。バイト時代のことをブログに書いていたのである。そこで、建築家の手になるこだわりの戸建て(もちろん、親の金銭援助大なはず)を建てて住んでいること、自宅とネットで雑貨屋をやっていること、子供が3人に増えていたことを知った。元々センスのいい彼女のこと、商売のほうも好調のようだった。

 そこで愚かな私はやっと気付いた。「私って、見切られてたのね…」

 幸せそうな言葉が並ぶ文面を見たときに突然甦ったのはなぜか「コンサート、行かなくてよかったわ」と言われたことだった。自分でもそんなことがあったことすら忘れていたのに。

 そしてなによりショックだったのは、お世話になったバイト先のママさんの死をそのブログで知ったことだった。

 「自立・自活がなにより」「自分の能力なりの生活」「モノより経験」を掲げずっとひとりでやってきた私。安アパートに住み続けていることも、収入の少ない生活をしていることもすべて自分の選択の結果と納得し自分は幸せと思っていたが、人のお金を遠慮なく使って堂々と物質世界を展開している人がいること(そして、これが世間では立派とされる生き方だということ)をまざまざと見せつけられ、頭を殴られたような気分になった。ママさんの死のこともあり、その晩はよく眠れなかった。

 よく「運がよくなりたかったら運のいい人についていくといい」とか言ってそれが正論だと思うが、私は運のいい人についていくと「強運にはじき飛ばされる」か「踏み台にされる」かのどちらかになり、結局被害者意識だけが残るのである。

 しかし、以前から「何か会社勤めではない仕事」「ネットショップなんてどうかな」とか言いつつこれというものに出会えずウダウダしていたが、このショックがこのブログを始めるきっかけになった。やはり物事は始めてみないとわからない。スージー・クーパーのことばっかり書くことになると思わなかったから(笑)

 少ない運、弱い運を大事にしつつ、「世界にひとつだけの花」を咲かせていかなきゃ。それが自分の人生だもの。

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