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2005年12月

今年のブログ納め

 今年、家のパソコンでブログを書くのは今日で最後(たぶん)。今年もいろいろあったな~。

 まず職場を2回変わった(計3社に勤めた)というのは私にしたら少ないが、同世代の人から見たら呆れられるわなあ。それでもこの年からでも2度も新しい職につけたのだからすごい…。(と感心してていいのかはわからない)とにかくしばらくは働いて元手をため直さなければ。

 あとは列車脱線事故とか偽装マンションとか暗い世相だったけど、会社社会の歪みが噴出したような出来事だったと思う。日ごろから日本の会社を信用してないので、こういうこともあるだろさという感じ。それでも皆会社に通うことをやめようとしない。会社で働くことで、回りまわって自分たちも片棒担いでいるんだよ。

 「ALWAYS3丁目の夕日」を始めとして昭和ブームだそうだが、オール電化マンションに住む人が昭和を語ることの愚かしさ。一人ひとりが身をもって昭和の生活をしていけばいいだけなのに。

 そういえば今年は、伯父、伯母、祖母と私を守ってくれていた人たちが続けて亡くなり「私の中の昭和」が終わり始めた年でもあった。でもここまで守ってくれたのだからこれからは自分の力で生きて、良くしてもらった分は少しでも周りにお返ししていかなきゃと思っている。

 そうこうしているうちに「火の用~心、カチ、カチ(拍子木の音)」の声が聞こえてきた。冬になると見回りをしてくれる地域の人たち。建物や設備は昭和の暮らしをしてる私だが、昭和のようなご近所づきあいは全くやってない。それでも安全に暮らせているのだからありがたい。見えない財産だと思う。全く趣のない町だが、そういうのもあって離れがたいのである。何かの形で少しは協力しなければと思っている。

 そして今年は、なんといってもこのブログを始めたこと!大した内容は書けてないけどこれからもネットの片隅から昭和のような暮らし(シンプル、スローな暮らし)を提唱し続けていきます!

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ローマの休日!

 仕事納めだったけどダラダラしてる職場の雰囲気に耐えられず(私以外は結構楽しんで盛り上がってた)これからこの調子が続くのか~と落ち込みながら退社。こんなときは映画に限る。

 最近新作情報に疎いので「ローマの休日」にしてみたが何度か見てるし、作品に集中できるかなあ、家で帰省に備えて残り野菜を料理してた方が良かったかも…と思いつつ映画館に向かう。

 しかし…やっぱり名作は素晴らしい!しっかり集中して見てしまった。

 この頃のイタリアに行ってみたかったなあ。なんか、市場のノリは香港のようにも見える。(「イタリアと中国は似ている」というのは私の持説の1つ)ニューヨークのリトルイタリーにも少し似ているような気がする。

 いつかローマに行って、心ゆくまで歩き回ってみたい。

 本当は、もっと感性豊かな時に行っておきたかったけどね…。

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いつの間にか年末

 どこかに「今の天皇誕生日になってから年末が1週間早くなった」と書いてあったが全くその通り。TVがもう年末モードになって特番ばかり、気ばかり急いていやな感じ。心静かに年末を迎えたいのに。NHKのニュースはまだ通常モードでほっとする。

 私の年末の風物詩といえば毎年28日頃放送する「朝まで生テレビ」のサッカー版を見ながら年賀状をこつこつ作ることだったが(でもさすがに眠いので年賀状ができたところで寝てしまい最後まで見たことはない)、今年は喪中で年賀状は作らないので番組をゆったり見るか~と思っていたのに番組もやらないらしい。残念。

 ゆったり年末を迎えているつもりだったが、気がついたらカレンダー販売が終盤にさしかかっていてびっくり。今日縮小気味の売場を何軒か回って居間とトイレに飾るものをゲットしてきた。居間のは富士山の写真、トイレにはわたなべあきおの猫の絵のやつ。結局例年通りのラインナップになってしまった。毎日見る絵は潜在意識に訴えかけるので、不穏な気配のする図が1枚でも入っているものはやめた方がいい。(今年の経験より)

 台所に飾る小さいカレンダーは、オードリー・ヘップバーンのにしようかな。雑誌の付録というのがいただけないが、理想の女性ということで。なぜか別件でオードリーの卓上カレンダーももらってしまったし。

 明日仕事納めができるかと思ったが28日まで就業だって。あ~あ…(勤労意欲なし)今日、職場でひょんなことから女性同士で年齢告白大会になってしまったが、私はやっぱり自分の年が言えなかった。来年以降が思いやられる。仕事や場所はまあまあ気に入っているんだけどね…やっぱり、40代でも若手だった前の職場が懐かしい。

 いろいろあるけど、静かに年を終わらせていきたい。

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D&D Department

 カフェの本に出ていてずっと行きたかったD&D Departmentにやっと行くことができた。本によれば、今頃ホテルも併設になっているはずだけど。

 環八沿いを歩いていったら、ありました…さりげなく。ホテルはまだ出来てなくて、1階がカフェ、2階が雑貨屋になっていた。2階にまず行ってみると、ミッドセンチュリースタイルのシンプルな雑貨や家具がたくさん置いてあった。

 確かにナイスな選択眼であるが、しかし…私はどうもミッドセンチュリースタイルが苦手なのである。これは、私がこの時代に幼少時代を過ごしていて、子供の頃のダサい記憶とつながっているので客観視して面白がることができないからだと思われる。

 1960年代に結婚した両親が新婚の時揃えた家具はミッドセンチュリー風の安物で、これらの家具が和風の長屋に置かれているというのが私が生まれて最初に見た風景だ(苦笑)なんか「ダサくてチープでむなしい」というのがこの時代のスタイルに対しての私の印象である。ちなみにこれらの家具はまだ実家で現役で使われていて、より貧乏臭さを増している。意識的に使いこなさないと難しいスタイルだと思う。

 こういうのを新しいと思えるのってこれらをリアルタイムで体験していない世代だと思う。お客さんもカルチャー系の20代の若いカップルばっか、そういう意味でも私には居場所がない感じだった。

 折角だからと1階のカフェでお茶もしたけどカリモクの椅子は奥行きがありすぎてチビな私には座りづらかった。ソファって日本人の生活には要らないような気がするなあ…。

 二人連れで来て生活用品を一緒に選んでいる若い子たちを横目で見ながら、どうして自分にはこういう若いときがなかったのかとぼんやりと考えていた。

 自分のテイストとは少し違うけど仕掛け人たちの心意気には大いに共感するので今後もたまには来ると思う。かっこいいデザインのオーブントースターに心奪われたけど、ナチュラル系をめざすうちのインテリアに合うだろうか。よーく考えていこう。

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恋と花火と観覧車

 今朝、新聞のお悔やみ欄を見ていたら砂本量さんの名前が。なんとまだ47歳。

 私は砂本さん監督の映画「恋と花火と観覧車」にエキストラで参加したことがあるのだ。松嶋菜々子さん、5秒くらいしか見なかったけど同じ人類と思えなかった(@_@)長塚京三さんや生瀬勝久さんも背が高くてかっこよかった。当然、現場で監督もお見かけした。細おもてにめがねの優しそうな感じの方だった。台本に「砂本 量」と名前が書いてあったのが妙に印象に残っている。作品の方は残念ながらあと一歩だったけど(原作が秋元康だし、設定や展開が全てスポンサー頼みなのがちと苦しい)参加できたのはいい思い出である。ちなみに、私が映っているシーンは本編で使われている(^_^)v(画面のはじっこでぼけぼけなので顔は判別できないけど)

 その後の作品のこともよく知らず、あの時だけのほんのすれ違いだったけど、こういう記事を見ると人との出会いって興味深いなと思う。

 ご冥福をお祈りいたします。私も観客としてずっと映画に関わっていきますよ。

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ALWAYS三丁目の夕日

 あまりの評判の良さにずっと見に行きたかったけどいまいち縁がなかった作品、今日やっとのことで見に行った。

 感想は…「おお、昔の日本は香港だった」

 香港の風景が好きでずっと香港映画を見てきたが、それは私が「香港に昔の日本を感じて懐かしい気持ちになるから」というのを改めて認識した。繁華街の風景なんか、昔の香港や上海だよ~。

 正直言うと、「世間の評判良すぎ」もちろん、かなりいい作品だけどこういう雰囲気を味わいたいなら香港映画にいくらでもあるよ。世間のみんながそれを知らないだけ。

 昭和30年代生まれの私から見るとやっぱり登場人物が今風すぎる(鈴木オート夫妻若すぎ、かっこよすぎ)とか当時の日本人はこんなことしないよな~とかところどころ無理があるように感じてしまうけど、香港の人が香港映画を見ると同様に感じてしまうのかな。やはり日本人の私には香港映画の方が先入観なく楽しめる気はする。

 あの頃からずいぶん遠くに来てしまったように感じるけど、街を歩けばまだまだあの頃の雰囲気は残っているし、皆の心の中にあるはず。それよりも古いものをどんどんぶち壊し、便利で快適な暮らしを追い求めてるくせに「昭和は良かった」なんて言ってる人、今の時代は自分たちが作ったんだよ!言ってることとやってることが違いすぎ!そのことに気づいてほしい…と昭和の暮らしを一人細々と送る私は思うのだった。

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紺色~!!

 「シンプルライフのため、余計なものは捨てなきゃ」と古いニット類をばんばん捨ててしまった結果、今シーズン用の服が足りない(;_;)しかし基本のニットでこれというものが買えず、仕方なくカシミアセーターの上に綿ニットのカーディガンを羽織ったりというめちゃめちゃな組み合わせをする羽目に。

 その理由とは…「今シーズン、紺色の服が売ってない」

組み合わせがきくシンプルなニットを思っても黒・茶・ベージュに赤、緑というラインナップで、なぜか紺がないのである。同じくタートルのカットソーを探しているのだが、こちらもなぜか紺色だけがない。ついでに言うならカラータイツも紺色がない。いつもの年なら考えられないことだ。

 私は服を紺系で揃えているのでヒジョーに困っているのである。

 私は昔カラーコーディネートを学んだが、日本人のほとんどは黒よりは紺系が似合うタイプである。しかしここ10年くらい、ずっと基本色といえば黒・茶である。似合わない色ばかり流行っていてどうするんだろう。そして、なぜ皆何の疑問もなくそれを受け入れているのだろうか。自分に合っていない色を着ている人が多いから世の中暗いのだ、と言ってしまおう。

 流行色とは「日本流行色協会」なるものが「来シーズンの流行色はこれ」と提唱するのであるが、その通りに流行ってしまうというのも何だかなあと思う。

 流行にとらわれず本当に自分に似合うものを着たいと思っているがそれを貫こうとすると今の日本ではかなり無理しなければならない。ブルー系のパステルカラーをよく着ている太眉の私は傍目には明らかに「バブルの時代にしがみついてるおばさん」に見えるんだろうな。さて、どこかにしまったまま出てこない紺色のカットソーを探すとするか…

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怒涛の任務完了

 11月末で前の仕事が契約終了になったのを皮切りに、今日まで怒涛の日々。12月になってすぐに(ほんとにすぐ!1時間くらいで)祖母が亡くなったけど、悲しんでるヒマもなく求職活動と前の仕事の残務処理と単発アルバイトの日々。1社目の面接落ちてお先真っ暗になったけど、心を落ち着けて2社目の面接にこぎつけたところで前の会社から戻ってこいと言われたり、何なんだ~!!結局新しい会社で働きながら、毎週土曜前の会社にアルバイトに行く形で決着。そして先週末、父に頼まれて実家で喪中はがきの作成、慣れない差込印刷と格闘する。ついでに自分の分も作って今朝投函、これで私の年末行事は終わった…

 これでやっと心おきなく映画に行ける!今年はクリスマスの飾りもまだやってないけど、これから少しずつやっていこう。(喪中だからやらなくていいのかも)毎年頭を悩ます年賀状ももうないし、あとは大掃除くらいか。

 哀しい別れが多かった今年だけど新しい仕事にも就けたし、静かな年末をありがとう、おばあちゃん…と言っておこう。

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冬の気分

 亡き祖母の後押しですぐ決まるかと思われた仕事も面接でアウト、また1から出直しになった。前の会社で残務整理がてら働いているので派遣会社に問い合わせるタイミングなどがどうしても遅くなる。6月の、プータロースパイラル再びか?不安になる。

 昨日も昼近くまで動けず夕方になって買い物に行った。すっかり暗い街並みにクリスマスネオンが輝いていて北欧の夜のよう。でも今の私には不穏に感じてしまう。そのあと寒いのと変なものを食べたせいで体調がすごく悪くなり、最後には吐いてしまった。吐き出すまでの時間が不安。これで死ぬんじゃないか、おばあちゃんもこんな気持ちだったのかと思ったりする。吐いてからも浅い眠りで眠れない。夢の中で前の会社の残務の段取りとかを考えていたりする。結局、夢の中で納得し眠りについた。

 体調が悪くなると気弱になる。亡くなった祖母のことをいろいろ考える。そのあと偶然TVでやっていた番組が脳梗塞の後遺症と戦う人だったりして、余計気弱になる。この人の場合奥さんのサポートが不可欠だが、配偶者のいない私はどうなる?と思ったり。自分さえしっかりしていればと思ってもうまくいかないこともある。しかし家族がいるから心づくしで面倒見てくれて、なんてことないぞ。私はそういう人生を選択したのだから。

 今朝会社に行こうとするが調子がイマイチでやっぱり休むことにして、うとうとと眠りにつく。その後半分寝ぼけながら朝の番組を見る。至福のひと時…前の仕事のときは、こういう時間がなかったなあ。なんか結構疲れているなあ、大した仕事してないのに。

 すっかりキリギリス気分。仕事が決まったらほっとするかな。それよりも、自分で仕事を生み出したいのだけど。おばあちゃん、お守りください。

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今日、午前1時20分

 私が最も敬愛し、心の支えとしていた祖母が亡くなった。

 ちょうどその時間、何も知らない私は「オーラの泉」を見終わって湯船につかり体を温めていた。そして何も知らないまま眠ってしまった。

 祖母の死は、面接に出掛ける支度をしていた昼ごろに父からのメールで知った。メールでの文面だとなんだか実感がわかなかったし、そのまま次の仕事の面接に臨んでしまった。

 8月に会った時すでに半ば心ここにあらずの状態だったので、その時点でお別れの覚悟はしていた。でもとうとう旅立ってしまったのか。せめて夢にでも出てきて知らせてほしかったけど何も気づかなかった鈍感な私。

 「家族が大事」と家族のために頑張って実績も残したけど、家族のせいでやりたいことをずいぶん制限され、能力を発揮しきれなかったところもあった。もっと自分のやりたいようにできたら、120歳くらいまで活躍できたと思う。96歳なんて早死にだよ。

 たぶん、本当のお別れを実感するのは次に父の実家に行って祖母がどこにもいない風景を見たときだと思う。

 私にとっては全能の人だった。不肖の孫だけど残りの人生がんばるよ。

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