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2013年2月

2月終わり

 療養の2月ももうすぐ終わり。ぼんやり過ごしていたが、手術直後のボケボケな状態からよくここまで回復したと思う。前半のダラダラを取り返すべく、ブログと断捨離に精を出した。もちろんまだまだだけど、ブログは毎日書いたし、長年死蔵していたスーツ類をやっと捨てたし、休眠口座を解約しに行ったり、昭和時代の書き損じはがきを交換したり(笑)、これまた死蔵していたベルマークを捨てたり(大笑)と、今までできなかったことを色々やったのだ。

 そして2月といえば、夢見る夜明け前のような季節…今までの2月といえば、街歩きに目覚めたこと、アンティークに出会ったこと、ニューヨークの街を歩き回ったこと、梅を見ながらこれから来る春を思ったこと…今年は外にはあまり出られなかったけど寒い寒い今年の冬、家でゆっくりできたことは本当に幸せだった。

 また元の生活に戻るけど、2月は内省し自分の原点を確認する季節。明日からは目覚めの季節だ。

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少しずつ生活改善

 退院してからしばらく、ネット三昧で何もしていない印象があったが、それでも少しずつ動き出していた。

 まず、カーテンをやっと注文。実は12月に1度注文したつもりだったのだが、注文が入っていなかった。そしてこんな時に限って、折角測ったカーテンのサイズのメモを早々に捨ててしまっていて…(泣)サイズを測り直すのにどうしても腰が上がらず…そして生還できないかもしれないし(苦笑)…でも無事帰ってこられたから頑張ってサイズを測って注文した。前のカーテンが気に入っていたからボロいまま使い続けていたけど、これを機に掛け替え。安物だけどサイズがちゃんと合った新品だから、部屋の空気感も少し良くなった。

 それからリネン類、まずはシーツ。昨年秋からずっと探し続けていてピンと来るものがなかった。タオル地で、ピンクと白の色違いを狙っていたけどオークションでなかなかなくて、もう出てこなさそうとわかったので白いシーツを2枚別々に落札した。

 シーツを決めたらなんか肚が決まったというか、やはり迷って迷って迷って決められなかったバスタオルを購入。先代と同じもので、先代はブルーとグリーンだったが、今度はバスマットとお揃いになるしということでグリーンとイエローにした。実はイエローの方の色味が理想とちょっと違うので決断できなかったのだが、もうこれ以上迷ってもしょうがないと買い替え。使い出せばそれなりに気に入っている。のちにIKEAに行って、白いタオルを地模様違いで買っても良かったな~なんて思ったりして。シーツを白にしたせいでみんな白で揃えるのもよさそうな気がしてきた。1つ解決すると、芋づる式にアイディアが出てくるのだ。

 それから、理想のものが一番見つからなかったバスマットだが、無理に買い替えないでしばらくこのまま使うことにした。そう決めたら気が楽になった。

 あとは、洗髪用のタオルの買い替えだけどそれも商品はほぼ決まった。今までどうやっても見つからず、決められなかったのはなんでだろう。

 こうやって、少しずつ新しい気が入って次の生活に向かって整い始めた。

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入院前後のいろんな別れ(主に映画館)

 入院前後に街歩きをしていて気づいたこと。

 渋谷のシアターNがいつの間にか閉館していた。ユーロスペースの頃から散々通って、いろんな変な作品を見た思い出の映画館。最後に行ったのが「アンダーグラウンド」(しかも2回)この1本で映画館やってけるんじゃないのってくらいロングランで、お客も入っていて嬉しかったんだけどね。穴蔵のような客席(男性客が多いと見づらい)と激セマなトイレがなつかしいなあ。残念。

 入院用品探しついでに、渋谷東急のクロワッサンの店に行って、靴の「KISSA SPORTS」が製造終了になると知った。ここのバレエシューズが大好きで、若い頃何回もリピ買いした。高田喜佐さん亡きあとも頑張って続けていてくれて嬉しかったのに、ため息…。でも今の私はここの4.5㎝ヒールですら履けなくてもう買ってないので、勝手なことは言えない。

 それから、前の記事で書いた三軒茶屋中央劇場、私が入院前に「ミッドナイト・イン・パリ」を見に行って1か月しないうちに閉館してしまった。その時は閉館になるなんて知らなかった。映画館でも特に告知してなかった気がする。退院してきてから、行きつけのカフェで教えてもらった。最後見に行こうかなと思ったけど混んでそうだし、見たい作品でもないし、割引デーでもないからやめた。ここも散々通ったなあ。隣の三軒茶屋シネマも好きなんだけど、こっちの方が最終回の上映時間が遅いから会社帰りに見に行くのにちょうど良く、金曜の最終回によく利用した。お客さんが少なくて大丈夫かなと思っていたけど、ある時昼間に行ってびっくり、ここは昼間の方が混んでいるのだ。作品のセレクションも私好みだった。金曜の夜ここで映画を見て、夜の三軒茶屋をほっつき歩きながら週末気分になっていくのが好きだった。1回見るごとにオリジナルのちらしをくれて、期間内に10枚(一時期15枚だった(笑))集めると1作品タダになるのだが、派遣先の場所によって通いづらい時があり、とうとう10枚集められなかった。このちらしは捨てられないわ。いつか、復活してくれるのかしら。でもあの味わい深い建物じゃないとなー。ナゾの2階に一度入ってみたかった(憧)

 そして最後に、まだ閉館になっていないけど「銀座シネパトス」ここは会社員時代に同僚に連れてきてもらってから、プータロー時代に散々通った。当時、料金は忘れたけど激安の回数券があったのだ。そして、ここでバイトしたくて履歴書持っていったことがあるのだ(笑)しばらく足が遠のいていたが、閉館を聞き行かなきゃと思っていた。

 今の時代では絶対作られないであろう、妙ちきりんな建物が面白い!久しぶりに行ったら椅子が新しくなって、見やすくなっていた。トイレも改装されていた。お向かいのお店でちらほら閉店・移転が始まって残念だったけど、やっぱり味わい深い、なくしたくない風景だ。

 ちゃんとお別れができたり、できなかったり色々だけどやはり思うのは「一期一会」というのと「別れも止む無し」かな。手術で病巣とお別れしてきた今、余計そう思う。思い出をありがとう。

 

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ミッドナイト・イン・パリ

 今年2作目(たぶん)、そして入院前最後に見た作品である。ウッディ・アレンは嫌いだけど海外旅行に行けない今、パリの風景が見たいなと思って。そして時間旅行もできるし。

 車に乗るだけで、古い時代に行けて昔の有名人に会えていいなあ。私もこの時代に憧れがあるので、できれば自分もモンマルトルに住んで表現活動をしながら芸術家と交流したかった。でも、今の人と言葉づかいや振る舞いが全然違うだろうから会話が成立しなさそう。(劇中では割と普通に交流しているが)

 そして、古い時代に行ってみたらその時代の人はもっと古い時代に憧れていたという皮肉。

 昔の日本映画の世界が好きで、あまり今を生きていない私だけど、あの時代に生きられると思わない。私のような独身貧乏女性に居場所はない。それに医療は今の方がいい。あの時代だったら今回の病気だけで死んでいてもおかしくないのだ。

 下手すりゃ私が人生最後に見た映画になっていたかもしれないこの作品のメッセージが「今の時代を前向きに生きよ」というのは象徴的だった。

 そして私は生還してきたが、この作品を見た三軒茶屋の映画館はこの後閉館になってしまった。建物自体が時間旅行ができる貴重な空間だったのに残念だ。

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稲妻

 記事の順番が前後するが、今年最初に見た映画。昨年の「幕末太陽傳」以来、年明け一番は古い日本映画がいいかな、と思って(笑)内容もよく知らないけど名作だろうから外れはないだろうな、という程度。

 戦争のショックをネタに全く働く気のない長男は、まるっきり今のニートと同じだし、お金にがめつい長女や気が弱く流されやすい次女、さらに考えなく全員父の違う子を産んだ母…今もこういう人いるよなあ。というか壊れた家族ほど再生産されて、続いていくんだよね。

 そんな中、自立しようとする三女(高峰秀子)の姿が美しい。泥の池に咲く蓮の花のよう。

 舞台になっている昔の東京の風景が懐かしく、劇中の人の立居振舞が優雅。重い話のはずだが、おとぎ話にも思えてしまった。

 タイトルにもなっているラスト近くの稲妻が意味深で、レトロでありながら前衛的な感じもする。

 昔の日本映画は面白い。この時代に続く時代に自分が生きているということも興味深い。
 

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レ・ミゼラブル

 退院3日目にして、電車に乗って見に行った映画がこれ。本当は入院前に見てパワーをもらいたかったけどレイトショーで2時間半はきついと思って腰が引けていたのだ。晴れて自由の身になったから外出の練習も兼ねて、チャレンジ!!

 普通の恰好で行くと下半身が冷えると思い、近所のお使いに行くときの恰好(ヒートテックのレギンスとユニクロの裏フリース付きシャカパン重ね履き。絶対冷えない)で行くことに。もう見た目など構っていられない。

 サービスデーの昼間に映画に行くなんて久しぶり。ジジババが多く混んでいる。感染症とかあまり気にしない方だけど、館内の人の多さにちょっとびびる。でも自分復活の第一歩だから!

 さて、映画だが、素晴らしい!!壮大なセットに映画ならではのカメラアングル、ズームを駆使して、舞台ではできない表現になっていた。顔をアップにできるから、細やかな感情がよく表現できるし。セットの色調もなかなかいい。そして見慣れた役者さん達が、みんな歌がうまくてびっくり。欧米の人は皆芸達者というか、引き出しいっぱい持ってるわ~。ミュージカルだから全編歌で進むけど、感情をかなり入れて歌唱というよりセリフ回しに近い表現で、舞台のミュージカルより良かったと思う。個人的にはアン・ハサウェイの"I dreamed a dream"に本当に泣けた。

 小学生の頃、子供向けダイジェスト版の「ああ無情」を読んだことがあるけど話が壮大すぎて把握できなかった。登場人物の名前とか、地下道を逃げるとか、ところどころ覚えていたのだが、この映画のおかげで話も理解でき、もやがかかった記憶がすっきりした気分。映画って全部説明してくれるのがいいね。

 とにかく2時間半、たっぷり堪能した。芸術ってすばらしい。生きててよかった。

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乳離れは難しい…

 今回、私が乳がんになった要因についてまず考えられるのは女性ホルモン分泌過多だったこと。出産・授乳経験がないし、母になる予定もないのに生理もいたって順調。おかげで貧血になるし、損した気分を味わっていたが、さらに女性の機能を使わなかったつけが回ってきた形だ。

 そして、私ならではの要因というのが「乳製品のとりすぎ」牛乳はあまり飲まないけどチーズ大好き、朝食は毎日チーズトーストだし、毎晩ワインと共にチーズを食べて、食後にはヨーグルト。そして洋菓子大好きだし、料理もチーズ焼きとかクリームソースあえ系を選ぶことが多い。とにかく乳製品漬けの毎日を送ってきたのである。

 そんなわけで、手術を機に乳製品断ちをすることにした。

 しかし、西洋医学では乳製品との関連は言われてないのかな…入院中も、病院食に普通に牛乳がついてきた(飲まなかったけど)。お餞別にもらったお菓子はいただいたけど、自分ではお菓子を買わなかった。

 退院してきて最初の昼食、買い物に行くのが面倒で家にあったもので作ったが、結局チーズソースのスパゲッティ(爆)

 基本もったいながりだから、今家にある分は食べきることにしたが、なんだかんだで結構買い置きがあった。朝食用のスライスチーズ。晩酌用の6Pチーズ。実家で食べないからと持たされたチーたら。食後用のダノンデンシアなどなど。一度に食べないよう少しずつ消費していったら、結局10日近くかかった。

 退院後実家に顔を出したが、実家もまた乳製品にあふれている。私が帰省するとなると、晩酌用のチーズや食後のヨーグルトを必ず用意してくれているのである。たまに帰ってくる弟も、おみやげにチーズを買ってくる。もちろん牛乳が入っているお菓子もたくさんある。この素晴らしい家庭環境で私の乳がんは形づくられたのだと改めて実感(泣)。実家でも乳製品絶ちを宣言したけど、残っているチーズはやっぱり捨てられなくてちょっと食べた。ブリーチーズおいしかった(苦笑)そして、いただきもののクッキーなど親が食べない洋菓子を引き取って帰って来たのであった。

 結局乳製品「断」ではなく「減」にしかなっていないのだが、たまにはいいかなとIKEAのカフェへ。期間限定のクリームパスタに、定番のミートボール(クリームソース添え)。サラダでは寒いから野菜スープで暖をとろうとしたら、本日のスープはクラムチャウダーだった(爆)欧米の人、こんな食事してたら乳がんになるよね、やっぱり…

 完全に除去するのは無理だからせめて目に見える部分だけでもと思うけど私にはそれすらも難しい。でもこれからはこれを習慣にしていかないと。

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乳がん患者はアンパンマン

 手術が終わってしばらくして、頭の中に浮かんできた歌がある。それは「アンパンマンのマーチ」

 歌詞・曲とも全部はわからないけど「たとえ 胸の傷がいたんでも~」というフレーズがふと浮かび、胸部手術後の私にぴったり!と気に入りことあるごとに心の中で口ずさんでいた。

 家に帰ってきて歌詞を調べたらそのフレーズは「そうだ うれしいんだ  生きるよろこび  たとえ 胸の傷がいたんでも」だった。まさに私のためにあるような歌詞じゃん♪

 アンパンマンの胸の傷はみんなを守るためについた傷だけど…私の胸の傷も、どこかで誰かの役に立ってるかもしれない。とても前向きになるいい歌なので乳がんのテーマソングに勝手に認定!

 乳がん患者のみなさん、傷が痛んだときはアンパンマンのマーチを歌ってしのぎましょう!

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やらないことは、やらない…

 退院後は、自宅アパートで療養となった。事前の計画では、DVD見たり、ネットショッピングしたり(家庭用品で買い替えが必要なもの多々あり)断捨離したり、なるべく料理も自分でやって再出発に備えるぞ~と思っていたのだが…

 家に帰ってきて、入院中読めなかったブログなどを5日分まとめて読んだ。それがきっかけで、とにかくネットネットネット…オークションやネットショップで品探しのほか、乳がん関係のブログを読んだり本当に朝から晩までネット三昧。自己表現でブログを書かなきゃと思いながらもその前に人のブログを見に行ってしまう始末。

 料理も少しはやるが、結局買ってきたおかずが中心。パックのまま食べていたのをお皿に盛るようにしたとか、そんな程度。断捨離を兼ねて、買い置きの食材や調味料を使っておやつを作ったけどすぐやらなくなった。一度カレーを作ったが、食べきるのに1週間かかってしまった。

 社会復帰訓練と称して退院3日目から映画を見に行ったし、布団の上げ下ろしとかは必ずやるけど掃除はやはり週一回。家の片づけよりどこかへ出掛けたくなってしまう。

 そんなこんなで、療養生活最初の2週間は堕落しきって過ごしてしまった。

 そうして思ったこと。「やっぱり、時間があってもやらないことはやらないな…」

 そんな自分のパターンを変えなければ。

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乳がんの記録 退院

 入院5日目も、普通に目が覚める。今日もう退院だ~そして最後の朝ご飯も和食だった。実は私の手術当日だけパン食だったのだ。ははは。

 看護師さんに「今日退院ですから支度していいですよ~」と言われたので朝食・洗面後に家から着てきた服に着替える。普通の恰好になるのは5日ぶりでちょっと違和感。

 入院時から増えた荷物は胸帯、弾性ストッキング、前開きブラジャー2枚。それほどかさばらずにかばんに収めることができた。

 退院は10:00の予定だが、早めに支度が終わってしまいベッドに腰掛けて待つ。おとといは、手続きに時間がかかったようで同室の人が出て行ったのが11:00頃だった。月曜は退院者が多そうだから時間がかかるかなと思っていたら、意外にも9:50頃看護師さんが来て次回診察の予約票を渡され「会計が整っていますので入退院窓口に寄ってからお帰りください」と言われる。同室の人と連れ立って窓口へ。私は入院時に限度額申請書を出していたので会計が8万ちょっと、保証金が10万円なので差額が返金された。同室の人と別れて、タクシー乗り場へ。今日はたくさん待っていた。タクシーに乗ってアパートに直行。冬の日差しが眩しいが心は晴れ晴れしていた。

 久しぶりの自分の部屋。変わらない風景で待っていてくれた。止めていた新聞もちゃんと今日から配達されているし。まずはコーヒーを入れて、同室の人からもらったお菓子をいただきながら新聞を読み、メールをチェックする。それから電話やメールで退院の報告、あいさつ。携帯メールは苦手なので結構手間取る。

 とにかく、手術は無事終わった。でも本当のがん治療はここから。これからどんな展開になるかわからないが、手術を乗り越えたことは素直に喜びたい。

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乳がんの記録 入院④術後2日目

 術後2日目も、心地よく目が覚めた。朝ごはんはやっぱり和食だったけど(;_;)昨日に比べ、体調が格段に良くなっている。1日経過することのすごさを実感する。日曜日は入退院手続きがないので私は明日退院だが、本来は術後2日目で退院である。昨日、お向かいのベッドの人が「こんな頼りない状態で退院するの~」とぼやきながら退院していったが、確かに2日目朝ではまだ心もとない。もう一日病院にいられてよかった。

 朝からいつも見ているテレビ番組を見て、いつも聞いているラジオを聞く。日曜のこの時間をこんな風にのんびり過ごせるのは久しぶり。思えば2年前に教習所通いを始めてこの時間家にいないことが多くなり、その後母の介護が続き、この時間は家を空けている方が多くなっていた。自分のためだけの日曜日をしみじみ味わう。家事もしなくていいし(^_^)

 お昼ごはんをたべてから術後初めてのシャワー。余裕を持って入りたいので前後があいている時間を予約。手術痕はこわくて凝視できないが、乳頭のすぐ上を横一文字に5㎝くらい。1㎝幅の防水テープで職人芸のように細かく貼りあわせてある。防水テープというのは聞いていたが、ガムテープのような大きい一枚でベタっと覆うのかと思っていた。脇の下も切っているが、上から覗けずよくわからない。傷の周りだけざっと洗ってお湯を流す。左手メインで頭を洗う。

 夕方になり、これまた以前よく聞いていたカウントダウン番組を聞く。昔は毎週欠かさず聞いていて、この番組が終わると休みの終わりを感じていたが(言わば私にとってラジオ版サザエさん)、これまた教習所通い以降ちゃんと聞くことがなくなっていた。窓の外の景色が暗くなっていくのを見ながら「思えば遠くに来てしまったなあ…」と感慨に浸っていた。

 休日の病院は人の出入りがないから静かで落ち着く。体調をじっくり回復するのにちょうどよい。週末入院にしてよかった。

 明日はもう退院だ。

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乳がんの記録 入院③術後1日目

 術後1日目も、普通に目が覚めた。お向かいのベッドの人は熟睡できなかったらしいので(お見舞いの人に愚痴っていたのが聞こえた)ので痛みに対する不安があったのだが、痛みはなくてほっとした。看護師さんが来て検温・血圧測定。寝ぼけているうちに執刀した先生が傷チェックに来てびっくりする。家に帰ってんのかな?

 尿管を外してもらう。点滴はまだつけている。朝食は普通食が出た。朝はパンが食べたいのだが、今日も和食(;_;)普通に起き上がってご飯を食べる。

 術後最初のトイレは、転倒防止のため看護師さん付添で行くことになっているのでナースコールで来てもらい、付き添ってもらう。よろけることなく普通に歩けた。トイレの入り口まで来たところで。「大丈夫そうだね。じゃっ!」と看護師さんはいなくなってしまい、えーっと思ったけどその後普通に用も足して帰ってきた。体験記には最初のトイレが沁みて痛い(尿管で傷ついているので)とあったので緊張したが、大丈夫だった。医療は進歩しているのね。

 そして、術後なのに外来に行って心電図をとってくるように言われる。点滴台と共に一人で心電図室へ。外来の人も来ているので感染しそうで不安になる。昨日は実習生の女の子だったが、今日は点滴付きのせいか職員の人がやってくれた。

 それから後はひたすらウトウトして、回復につとめる。スタッフの人が入れ替わり来て傷チェック。そのたび胸帯をベリベリはがしてまたつけるのが面倒。その後点滴も外してもらった。

 今日は退院の人が多く、迎えの家族も来て話声が気になるしわさわさしていて落ち着かない。持ってきた携帯ラジオを聞いて気を紛らす。気がつくと、一挙に4人いなくなっていた。

 お昼を食べてから、実家の父に電話。こちらの状況を報告しつつ、昨日の顛末を聞く。なんとかその日のうちに家に帰れたとのこと。その後弟にも手術報告の電話。

 それからまた一休みしたが、リハビリも兼ねて歩いてみるかということで、病院の入り口脇にあるカフェに買い出しに行ってみることにした。土曜の午後なので外来の人はいなくて院内はがらんとしている。コーヒーとお菓子を買ってしみじみ食べる。病室に戻ってまたのんびりする。空いている院内が心地よい。

 その日はとにかく、手術が終わった安堵と幸せ感に満ちていた。

 

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乳がんの記録 入院②手術

 手術当日、いつも通りに目が覚める。今日は朝食なし、もう水も飲めない。前日夜に下剤を飲んだのに便通がなくて、心配になる。今まで読んだ体験記では、「心配していても、朝には出る」とのことだったが…。この日は特に、今まで読んだ体験記を自分でシミュレーションする感じで手術に対応していった。手術の開始予定時間は13:30。

 いつも通りに検温・血圧測定の他、外来に行って心電図をとってくる。病室に戻り待っていると、今まで見たことがない人が来て手術する側の胸と足の甲にマジックで○印をつけられる。その後また別の人(だったと思う)が来て手術しない方の腕に点滴。痛くないのでほっとする。

 便通がないのが心配でしょうがない。昔はすごい便秘だったけど、ここ数年はそんなこともないのであまり心配していなかったのだがこんな時に限って…。原因はわかっていて、水分をあまりとっていなかったせいである。絶食のリミットが来る前に水分補給しておくべきだったのに、そこまで考えが至らず寝てしまったのだ。水を飲めば、すぐ出るんだけどな~と気ばかりあせる。点滴の水分に期待。そのせいか、10時くらいにトイレに行きたくなり、無事なんとかなりました(ほっ)

 あとは、ベッドでうとうとしながら過ごす。邪念がわかなくてすむので寝ているのが一番。経験がないせいか手術に対しては何の感情もなかったが、手術以外に心配なことがあった。それは手術の付添に来てくれる父が遠方からローカル線で来るのでちゃんと来てちゃんと帰れるかということだった。遅くなると電車がなくなるので、早く手術が終わってほしいのだが。その辺を加味して、手術を早い時間に設定してもらうようお願いしておけばよかった~と今から勝手に後悔。

 病院も大きいので私の病室までちゃんと来られるのかというのも心配だったが、11時すぎに大騒ぎしながら父がやってきた。あーあやっぱり(苦笑)でもここまでたどり着けたからよしとする。でも手術までまだ全然時間があるし、病室で話しているとうるさいので(私が他の人の見舞客で迷惑してイヤだったので)点滴をひきずりながら父を連れてエレベーターに乗り、下階の売店や食堂を案内。先にお昼に行ってもらった。

 13:00頃からいつ呼び出しが来てもいいように臨戦態勢に入るが、例のごとくここからが長かった…自分が待つだけなら全然気にしないのだが、付添の父の相手もしなければいけない気になるし父の帰りの時間も気になるので早く手術に入りたいのである。昼食を済ませてきた父と外の待合で時間をつぶそうとしたが、気を使ってベッドで休めと言われた。本当はそうしたかったのでほっとした。今日担当の看護師さんが来て、いろいろ説明してくれる。このとき、便通はないならないで大丈夫と聞かされた。全身麻酔だと腸の動きも止まるので、腸の上部をきれいにしておくのが下剤の目的とのこと。そうか、そうなのか…出なかったら浣腸なのかと思っていたからほっとした。それから弾性ストッキングをはいてさらに待機。点滴のパックがなくなりそう…。

 手術開始の時間は錯綜したが、14:30と言われたのがさらに来なくて来なくて本当に呼ばれたのが15時すぎだった。一旦病室を出るが、あっと気づいてベッドに戻る。案の定、貴重品を入れた引出の鍵が開いたままだった。鍵をかけて、改めてトイレに行って(待機の間に何度も何度も行ってるのだが…)父に貴重品入れの鍵を預け、看護師さんと歩いて患者専用エレベーターへ。ここで父とお別れ。

 そしてここからはドラマの世界…廊下で手術室付きの看護師さんに引き渡され、手術室に連れていってもらう。こちらを気遣っていろいろ話しかけてくれる。同じ階に手術室が複数あるようだ。厚さ10㎝くらいのステンレス製のドアの奥が手術台。メンバーは執刀の先生に看護師さん2人、麻酔の先生2人(通常は1人)…と思ったら部屋の片隅にオペ服を着て所在なさげに立っている若者が3人くらいいるのが目に入った。大学病院だからなあ。「病院へ行こう」という映画を思い出す。執刀の先生があいさつしてくれる。たった2回会っただけで手術されるってのも、すごいご縁だ。手術に上がってシャワーキャップみたいなのを被り仰向けに。手術用の照明が見え、ドラマの世界。手の甲に麻酔の針を刺す。これがちょっと痛い。「大きく息を吸って~」と言われ息を吸ったところで左の鼻がつまって呼吸しづらいのに気づき、ストップをかけて鼻をかませてもらう。手渡されたのがティッシュではなく手術用の不織布タオルだったが気にしている場合ではなく鼻をかんで渡す。麻酔を再スタートしドラマのように数を数え始める。ドラマだと5、6くらいで意識がなくなるが、私は10以上数えてしまい、「えっなんかださくない?」と思ったところで記憶が途絶えた。手術開始は15:20。

 もちろん自分は覚えていないが、手術は17:30頃終わり、父が先生から説明を受けたのが18:00頃だったとのことだ。父には「遅くなるといけないから先生から話を聞いたら帰っていい」と言っておいたのだが、それで帰るわけもなく私が麻酔からさめるのをずっと待っていてくれた。

 私は、面会時間終了10分前の館内アナウンスで目が覚めた。面会時間終了は20:00である。目が覚めて「えっ8時?お父さんは?」とあせった。そのうち本当に時間終了になり、アナウンスが聞こえてきた。そうこうするうち看護師さんが来て、私の目が覚めたのを確認すると父を呼びに行ってくれたらしく、父がやってきた。後で聞いた話によると、先生の説明が終わっていなくなった後、誰からの案内もなくずっと呼び出しを待っていたら面会時間が終わってしまい、受付に確認に行ったところで「まだ、会ってないんですか?」という話になったらしい。

 頭がぼけていて会話の内容も覚えていないが、いちおう術前に「リンパを取ったかどうかだけ聞いておいて」と言っておいたので「リンパ取った?」と聞いたが父は意味が分かっていなくてとんちんかんな答えだった。でも胸に管がささっていなかったからリンパ郭清はしていないと自分で判断できた。もう遅いので預かってもらった鍵だけもらって、父はすぐ帰っていった。麻酔は手術が終わったらすぐ覚めるって説明だったのに~どうして誰も起こしてくれなかったんだ~こんな時間から帰って電車あるかな~と心配でたまらなかったが、どうしようもなかった。

 その後、ぼんやりしていてよく覚えていないのだが、足はマッサージ機みたいなので挟まれてマッサージされていた気がする。カーテン1枚の隣は男の人らしい。どこかで「テラオカさ~ん、テラオカさ~ん」とずっと叫んでいる人がいてうるさくて落ち着かない。(看護師さんに注意されて声は止んだ)ここはイヤだなあと思っているとさっきの看護師さんが来て「今晩ここに泊まる?」と言うので「部屋に戻りたい」と言って、病室に帰してもらうことにした。てっきり手術室と同じ階に居ると思っていたのだが、廊下の移動だけで病室に帰ってきたのでここで初めて上の階に上がっていたんだとわかる。移動の途中天井の風景だけがくるくる変わってくのが、これまたドラマのようだった。

 何時間ぶりかで、消灯後の病室に帰還。自分の場所がやっぱり落ち着く。尿管がついているのでトイレに行く必要はないのだが、妙に気になりトイレに行きたいような気持になってしまう。そんな気持ちを紛らわすのにはテレビが一番。寝たままイヤホンとリモコンを手繰り寄せテレビ視聴。ケンミンショー面白い。続いてニュース番組。最後の特集で、乳がんを患いながら出産した女性を取り上げていて、「いやー何もこんな日に…」と思いながら見てしまう。聖路加にかかれるんだからセレブだよな…とか思いつつも最後には涙ぽろぽろ。番組が終わったころ疲れと眠気が一気に来て、そのままお休み。

 私は傷口の違和感以外傷みとかはほとんどなかったけど、人によっては痛くて熟睡できなかったり、頭痛が出る人もいるようだ。

 こうして、運命の長い長い1日は終わった。下手すると「なんかださくない?」が人生最後の記憶になる可能性もあったのだが、無事この世に戻ってこられてよかった。

 
 

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乳がんの記録 入院①手術前日

 前日までバタバタしていたまま、なんだかんだで入院当日になった。いろんなこと思いついては迷っていたけど、結局新しいことはほとんどできず問題は全部先送りで入院することとなった。

 入院は4泊5日の予定で、手術は2日めである。

 日頃、「人生は旅!ビンボー旅行(ドミトリーに宿泊)は将来(病院や介護施設での生活)のためのいいシミュレーションになる!」とうそぶいていた私だが、リンパ切除の可能性もあるのでいつものリュックが使えず使い慣れない手提げかばん2つで荷造り。出鼻をくじかれた形(苦笑)荷物が持ちづらい…。

 父からはタクシーで行くよう言われていたが、図書館へ本を返しに寄ったりして(この期に及んでまだこんなことやってる(苦笑))、図書館前からバスに乗る。友人から励ましメールが来ていてバスの中でお返事。

 着いて早々、窓口を間違える。ここの病院に来るとどうも判断力がなくなるというか、おばちゃん丸出しになってしまう。院内ではいつも迷子になるし…。

 手続きを済ませ、係の人に連れられて病棟へ。病棟の担当者に引き渡されたが、その方が忙しくてその辺でボーッと待つはめに。

 病室は、なんと8人部屋!母が入院していたときの病室が6人部屋だったのでびっくり。なので個人用のスペースも激セマ、物を置くスペースがほとんどない。古い病院はこれだからなあ…。レンタルのパジャマに着替えて、着てきた服をかけたり洗面用具を並べたりして自分のスペースを演出。ここらへんは安宿の旅と同じ(笑)

 何人か人がいきなり来ていろいろ説明してくれる。看護師さんの服装がみんなスポーティでカラフル。あとで手術着と気づく。服装で区別できないのでどういうポジションの人なのかわからずただ「はい、はい」と話を聞くのみ。そして担当者が細分化されすぎていて、全体の流れを見てくれる人がいないので肝心な説明がすっぽり抜けたりするのである。午後から入院オリエンテーションがあったのだが、そんなものがあるとは知らされていなかったのでテレビカードや胸帯を先に買いに行ってしまって二度手間になったり(その後のオリエンテーションでちゃんと説明がある)、ここでもおばちゃん丸出し。

 お昼ご飯を食べてから、パジャマ姿で検査に行く。RI検査、事前の注射が痛かった。これは盲点だった。こういう検査があるのは把握していなかった。そう言えば他の方のブログによく出てくる「骨シンチ」をやってない気がするが、いいんだろうか…。

 その後病棟で入院オリエンテーションを受けて、入浴の予約をする。病棟で少し過ごしてから、エコーの検査とRIの撮影に行った。こういうちょっとした時間のつぶし方が難しく、所在なくウロウロ。結局売店でコーヒーを買ってきて餞別でいただいたお菓子を食べて、みんなのパワーを体に取り入れる。

 日も暮れてきて、いよいよ入院している実感がわいてきた。夕飯を食べて、大慌てでシャワーを浴びる。同じ病室で、手術室から帰ってきた人もいる。カーテン越しなので様子はよくわからないけど。

 夜9時の消灯ではさすがに寝られなかったけど、テレビを見ていたら11時くらいに眠気が来てそのまま朝まで熟睡した…つもりだが、夜中に看護師さんが今日手術した人の傷チェックに何回か来て、やりとりを聞いたのは覚えていた。

 手術への不安がないというより、なんか神経が弛緩しているというか、ただただぼんやりしているうちに手術日が来てしまった感じだった。

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乳がんの記録 入院まで(生活編)

 乳がん告知から入院まで、どう過ごしていたか。体調にはほとんど変化がなかったが(元々疲れやすい)、冷えや疲れを考慮し夜出歩くのは自重するようになった。あとは普通に日常生活を送りながら、季節の用事(年末年始関係)と入院準備だったが、とにかく考えがまとまらず「迷って迷って迷って迷う」日々。ほぼ毎日寄り道してどこかの店をのぞいて、決断できなくて、迷い疲れの日々だった。

 まず日常の用事として、へたってきたリネン類の買い替えがあった。これは年に1度秋頃にやっていたが、気に入ったものがすぐ見つかるとは限らないので毎年段々伸び伸びになって、今頃になってもまだできていなかった。買い替えるものとしては、シーツ、バスタオル、バスマット、ヘアタオル。洗い替えも含め各2枚買うけど、色違いでそれぞれ気に入った色、そしてなるべく全体でコーディネイトできるように、そして価格も抑えめに…と思うとこれがなかなかない!オークションでも探すけどピンと来るものがなく時間だけが過ぎていった。カーテンもボロくなっていたが、入院中に届いても困るので退院後に注文することにした。

 年末年始関係としてはカレンダーやダイアリーの買い替え、年賀状の準備など。これらも少し迷ったけど早めに決断した。年賀状は、既にデータが登録してある弱みに負けてウェブポで頼んでしまった。割高だけど助かった。

 自分が入っている保険の調査。今回の最大の失態は、がん保険に入っていなかったことだが(泣)医療保険には入っていた。20年くらい前にテキトーに入ったもので、補償内容もよくわかっていなかった。HPを見てもプラン名が載っていなくてあせるが、コールセンターに電話したら現在のプランに移行されているとのことだった。少しだけど通院給付金も出てありがたい。放射線治療の給付金がどのくらい出るのかよくわからなくて、HPを見ながらああでもないこうでもないと一喜一憂。結局50グレイまで照射を受ければ手術扱いになり、手術給付金が出るとコールセンターで教えてもらった。請求のタイミングもアドバイスしてくれた。

 病院に持っていくものとして、パジャマの上に羽織るものと室内履きを買った。羽織りものはわりとすぐ決められたが、室内履きが大変!入院のしおりにある「スリッパではなくかかとのあるもの」という記載にめちゃめちゃ振り回されてしまった。スリッパかバブーシュならいくらでもあるのだが、靴タイプの室内履きとなるとぐっと商品が少なくなるのである。折角の入院を楽しく過ごしたいから納得いくものを買いたい!でもお金はあまり使いたくない!と思うと(これがいけないのだろうけど…)予算内で気に入ったものがなく全然決められない…バーゲン品を迷っているうちに売り場からなくなってたり。結局、色は妥協して無印良品の室内履きを50%オフで買った。(買うまでに無印の売り場に5か所以上行った(苦笑))母の入院先に持っていくひざ掛けがなかなか見つからず閉店間際の売り場を駆け回ったことを思い出した。やはり旅の準備と同じで日頃から気をつけておいて気に入ったものをキープしておくのが望ましい。

 入院生活は初めてなので楽しみな部分もあったが、万が一の事故等で生還できないかも、という恐れもあり、バーゲンも気がのらなかった。生還できてもがん治療にはお金がかかるというし。日記の処分やエンディングノートまでは手が回らなかったが、ネット通販の定期コース(3か月に一度自動的に商品が届く)は万が一の場合、解約できる人がいないので解約した。これからは割高でも都度注文にすることにした。

 その他に、やっぱムートンブーツを買おうかなと思って探し回ったり(やっと見つかって履いてみたらあまりの似合わなさにあっさりやめ)、入院3日前くらいに荷造りを始めたら意外と荷物が入らなくて「やっぱりかばんを買うか~」と思って売り場を回って気に入ったものがなくてなかったり(結局かばん2個で入院)、あらゆることで常に迷って迷って迷って心落ち着かないまま、仕事の引き継ぎや退職のあいさつもバタバタと終わらせ、入院に突入するのだった。

 普通の人は、入院準備にここまで大騒ぎしないでもっとあっさり決めていると思う。こうやって私は人生を無駄遣いしてるんだろうな…。

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乳がんの記録 入院まで(病院編)

 12月の終わり頃、検査がひと通り終わったところでまた診断。前のクリニックで採った組織のプレパラート(さらに詳しい検査に出したもの)を持参する。説明は、最初の頃とほぼ同じ。腫瘍は10㎜程度で部分切除で済みそうなこと、手術後にホルモン治療と放射線治療を予定しているとのこと。

 それから手術日の決定。先生は「1月中頃から空いてるんだけど…」と言いつつなぜかその翌週の日にちを提案してきて、あれっと思う。私は週末の手術が良かったので、さらに遅い日にちを指定。結局約1か月先となった。本当は占いとかで検討したかったんだけど…こんなときに限って即断しなければならないのだ。

 手術前に、一度説明があるとのことでその予約もとって、肺活量の検査みたいなのをやって(担当の方のパフォーマンスが面白い)、入院窓口で説明を受けて資料をもらって帰宅。あーあ手術日決まっちゃった~。

 年末帰省した際に、入院のしおりを持っていき父に保証人欄を書いてもらった。また、手術の立会いも父にお願いした。家の地図で病院の場所も説明。

 年が明け、術前診察の日。病院への行き方を確認したいからと父も来てくれることに。しかし、これが大変だった(泣)まず、待ち合わせ時間に父が来ない。電話をしてみるとまだ電車に乗っていた。乗り換え駅で券売機に行列ができていて、最短の電車に乗れなかったとのこと。駅近くでそばをかきこんでから、タクシーで病院へ行こうとするがこの日に限ってタクシーが全然来ない!タクシー会社に電話すると「雪でみんな出払っていて…」結局バスに乗ってしまう。これなら最初からバスで行けばよかった。チェーンをつけているため変な振動が来るし、ノロノロだし、結局予約時間6分遅れで受付。

 そして、ここからが長い長い…14:00台5番目だったので1時間待ちは覚悟していたが、その時点で11時台の診察をまだやっていて、イヤな予感…

 詳しく書こうと思い出すとそれだけで疲れるのでささっと書くと、結局診察室に入れたのが4時すぎで、その後誘われるまま治験(もちろん任意)の説明も聞いてしまってさらに遅くなり、帰りのタクシーも全然なくて、待ったあげく乗ったバスは学生で大混雑&ノロノロ。駅で父を帰りの電車に乗せたのだが、券売機で切符を買ってすぐ乗れば良かったのに私がいらん提案をして窓口で通し切符を作ってもらったせいで乗り継ぎのいい電車に乗り遅れ、結局父は何もない乗継駅で1時間待つはめになったのだった。(ため息)自分だけなら全然気にしないけど、人と一緒だとなんかあせってとんちんかんな判断をしてしまい、そして段取りがうまくいかないとすごく気疲れしてめげてしまうのである。

 そして恐れていたとおり、この悲劇は手術当日も繰り返されるのであった…なんか乳がん記じゃなくなってるな(苦笑)

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乳がんの記録 術前検査

 12月中に行った検査は次の通り。

 ・マンモグラフィー
 ・エコー
 ・CT
 ・MRI
 ・血液検査
 ・尿検査

 採血と採尿とマンモは初診の診察後にできたが、あとは全部別の日に予約を取って行くことに。早退や半休で対応したが、昼近い時間しかとれず仕方なく全休にした日もあった。1回の検査時間は30分ほどなのだから、まとめてやってもらいたかったんだけど。こんな時、小さい病院だったらもう少し自分の都合のいい時間で予約がとれたのかなあ…なんて思ったり。最初はこんなことで時間をとられるのがイヤでたまらなかったけど、最後の方は患者になったことを受け入れた。こうして病気に馴らされていくのか(ため息)

 しかし…病院が遠い。バスでも遠慮なくシルバーシートに座ってしまう。夕方に検査が終わってバスターミナルに出てくると冬だからもう真っ暗。バスに乗ると、道路が混んでいて駅まで40分かかったり…。気が付くとラジオを聴きながらひと寝入り。

 これから、こんなのがずっと続くんだ…と気が重い12月だった。


 

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乳がんの記録 宣告後の心象風景~訃報が目に沁みる

 これは乳がんに限らずここ数年の傾向なのだが、訃報が気になる。母が入院、介護状態になった一昨年末からさらにその傾向が強まくなった。亡くなった方は両親と同世代の方が多く、そうなるとご遺族も自分と同世代だったりするので余計身にせまるものがあり、ため息をついていた。

 そしてこの年末…乳がんが発覚したのは、中村勘三郎さんが亡くなったり雨上がりの宮迫ががんで入院した頃だったので、この二人のことは考えずにいられなかった。芸能人の場合は病状がちゃんと伝えられなかったりするから…宮迫は無事退院・仕事復帰できてよかった。

 そうこうするうち、次々入ってくる訃報…いずれも「きちんと昭和を生きてきた人」みたいな方々ばかりで、哀悼の気持ちと同時に、自分はこの年でまだ何事もなしてないということを改めて思い知らされてめげる。自分の人生はまだまだ続いて当たり前と思っていたが、当たり前じゃないかもしれないのだ。でも言霊になってもいけないから口に出せず、そうすると余計にマイナスパワーが強くなりそうで辛かった。

 亡くなった面々を見て、今本当に時代の変わり目だと思うけど、私もどちらかというと古いタイプの人間なので、時代の終わりとともに天から召喚されるかも…なんて思ったり。

 一応、手術からは生還できた。これからも訃報でショックを受けることがあると思うが、なるべく生きて新しい世界をこの目で見てみようと思う。

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乳がんの記録 予備知識・参考図書

 話は横道にそれるが、がんになるまで闘病記の類を読んだことがあまりなくて予備知識もほとんどなかった。

 読んだことがあったのが、岸本葉子さんの「がんから始まる」と「四十でがんになってから」がんに興味があったからではなく、岸本さんの著作だからというだけで読んだ。なので内容もうろ覚えだったのだが、これらの本を読んでいたおかげで、がんへの取り組みが比較的スムーズだったように思う。後日、図書館で借りなおして読み返した。「がんは手術から始まる」「治ったのかどうか後になってみないとわからない」というのは自分が当事者になって改めて実感している。がんと冷静に取り組めるのでお勧め。

 それから、奥山貴宏さんのブログとブログ本。ご本人が亡くなられてから出会ったのだが、がん以外の話が面白くて読み応えがあり、奥山さんという存在に一時ハマっていた。中野は今でも私の聖地である。「平凡」のラーメンは一度しか食べられなかったけど中野に行くたび跡地がどうなっているか必ず確認している。そして新井薬師にお参りして、しんみりしてくるのである。古いブログは削除されてしまったが、残っているブログを改めて読みに行ってしまった。やはり亡くなった人のブログは精神衛生上良くないかも…。

 それから、乳がんの本を読んだことがなかったので図書館から借りてきた関口礼子著「知っておきたい乳がん」やはりがんを普通に克服された方の本の方が安心感があり、励みにもなる。研究者らしい観点でがんに取り組んむ著者の姿勢に共感。情報が多少古い部分もあるが治療の流れは掴むことができて役に立った。この本は入院・手術までしか書いていないのでできればこの後の話も書いて欲しかった(乳がんの治療は手術からが本番なのだ)。途中で「結婚による改姓は女性に不利」という項目が出てきて唐突な印象があったが、著者の経歴を知って納得!今じゃ当たり前の「旧姓で仕事をする」という権利を勝ち取るため、裁判を起こされた方だった。これは、日本の女性史に残すべき案件だと思うのだが著者に関してウィキペディアの項目もないのに驚き。今健在なのかどうかもネットでは追えなくて残念だけど、がんを通して出会えたちょっと嬉しい出会いだったかも。「乳がんはみんな違う」も、患者になって実感している。だから自分で情報を集めて、自分主導で治療をしていかないといけないのだ。

 医療関係の本は、ほとんど読まなかった(病院でくれたパンフレットのみ)が、もし医療関係の本を読む場合は、図書館ではなく書店に行くこと。特に乳がん関係は日進月歩なので。

 一般の方の闘病記は、ネットに山ほどあるが病状がシリアスな方が多くてめげてしまい、最初は敬遠していた。手術して、自分の位置がある程度把握できた今は取捨選択して読んでいる。治療の副作用のことなど、これから参考にしていこうと思っている。

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乳がんの記録 カミングアウト

 記録を書きながら、ほんの2か月のことでももう記憶があいまいになっているのに気づく。

 がんになったことを最初に誰に言うか迷ったが、最初に言ったのはやはり実家の父だった。

 以前読んでいた岸本葉子さんの本を参考にショックを与えないような言い方に…と思っていたが、何分不器用な性格なので(大笑)電話で「私、乳がんになっちゃった」とストレートに言った。

 偶然だがクリニックに行く2週間ほど前父がいきなり電話をかけてきて「乳がんの検診に行けよ、独身の人に多いらしい。」と言ってきたことがあった。なので、「あれから検診に行って、見つかったんだ。初期だって。」と言った。

 父は「そうか。早く見つかってよかったな」とだけ言った。本人の心の内はわからないが、病院を決めて検査の予約を入れてきたこと、手術は来年になりそうだということをささっと説明して電話を切った。

 それから、習い事教室で毎回会う友人にも報告。驚くと同時に励ましてもらった。

 そして、職場に言うのが一番辛かったのだが、検査で仕事を休むため言わないわけにはいかないので、週が明けてすぐリーダーと先輩に報告した。忙しい時期なのだが、検査でたびたび休みをとることを快く了承してくれ体調を優先するように言ってくれた。ありがたかった。これでかなり気が楽になった(泣)これなら、最短で予定を入れて早めに検査を終わらせればよかった…と後で思ったりして(苦笑)

 これで、安心して治療に取り組めるぞ。

 

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乳がんの記録 病院決定~初診

 前回の記事を読み返して、自分の文章力のなさに改めて愕然…。自分の中で心を決めるまでにすごーい迷いがあっていろいろ大変だったのだが、なんか全然表現できてないし(呆)

 要約すると、最後に残った選択肢は2つ。
  ・クリニックの先生が勧めてきた病院。
  ・症例の多い地元の病院。

 どちらも通勤経路からは外れているし、交通は不便(どちらもバス利用)。診療内容は、乳腺外科であればどこもそう変わらないとのことなのでそれほどこだわらない。できれば楽しく入院できる病院がいいな~(不謹慎)…ということで下見してから決めたかったのだが、仕事もあるので下見は行けず結局「カンと雰囲気」で地元の病院に決めた。(でも、もしもう1つの病院にしていたら…と未だに思ってしまうのである)

 告知を受けた3日後、クリニックを再訪。先生に病院名を告げると早速予約の電話をしてくれた。予約なしでも受け付けてくれるとのことで、今日この足で行くことに。紹介状と写真のネガとCD-ROMを受け取り、いざ病院へ。
治療に向けて、心ははずんでいた。

 しかし、駅からバスで30分…病院は遠かった。HPの写真から、新しい病院を想像していたのだが半端に古い建物…館内が広くて入り組んでいて目指す場所にたどり着くのが大変…と、外科の受付に辿り着いた頃にはすっかり気が滅入っていた。

 20分ほどで呼ばれて、データを見ながら診察を受ける。結局マンモとエコーは撮り直し。その他にCTやMRの予約を入れたのだが、自分の希望に沿う日にち・時間がなかなか空いてなく、また仕事も休みたくないので結局2週間くらいかけた、間延びした日程になってしまった。この間に進行しそうだよな…。

 帰りのバスターミナルでは、自分が乗りたいバスだけが一向に来なくて、寒風の中20分くらい待って、待ちきれず他の駅行きに乗ってしまった。こちらは10分くらいで駅に着いた。でもこんなんじゃこれから先大変だなあ…と落ち込みながら帰宅。

 そして、カミングアウトへと続く…

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乳がんの記録 病院を決めるまで

 今回の件で一番困ったのが、「病院を決めてきてください」と言われてもどう選んでいいのかわからないのと、相談できる人がいなかったことだった。猶予は3日。

 働きながら放射線治療を受けたいので、通勤経路上の病院にしたかったのだがクリニックで候補に挙げてくれた病院はどこも通勤経路から外れていた。さらになじみのない街だったり交通の便が悪い(バスでしか行けない)だったりして決め手がない。この時点でかなりめげる。

 私がこだわったポイント:
  ・立地(頻繁に通うので、家から通いやすいところ。通うのに楽しい街)
  ・病院の設備・雰囲気(楽しく入院生活を送れそうな病院)
 この時点で「治療内容」とか「有名な先生がいる」とかを全く考えない私って…要するに、旅の宿を決めるノリだった(笑)

 1日目(告知日当日)…候補の病院のHPを見比べるけど、ピンと来ない。

 2日目…あまりに堂々巡りなので、一旦考えるのをやめる。

 3日目…立地に関しては「この仕事をやめるかもしれないから、通勤経路に囚われるのはやめよう」と決める。
       そう思ったら段々絞れてきて、地元の病院でいいかな~と大体心が決まる。不便な場所(どの駅からもバス利用)だけど手術の症例は多いし、やっぱり地元は気楽かなということで。

 …で、結局3日目に決めた病院に入院したわけだが、実際の病院に行かないで決めてしまったのでこの選択でよかったのか今でもわからない。

 私が病院を決めるまでにしたかったのは、実際に病院に行ってみること(院内の雰囲気や、通いやすさがわかる)と、医学的に詳しい人とか入院体験者に話を聞くことだった。

 乳がんの場合はそんなすぐに手術しないので、10日くらいかけて下見してから病院を決めてもいいと後から思った。

 参考になれば。

      

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乳がんの記録 受診から宣告まで

 乳腺クリニックにやっと足を運んだのは、11月の終わり頃だった。

 その前に診察を受けたのが2年半前で、当時の結果は問題なし。その後就いた仕事が忙しく、検診どころではなくなっていた。その仕事が終わって時間的に余裕のある仕事に変わったので、そろそろ受けておくかということで2年半ぶりの受診。ほんの気休めのつもりだった。

 マンモ、触診、エコーと順調に進み前回通りこれで帰れると思ったところ、先生が「ちょっと気になる部分があるんで組織採りますねー」そして看護師さんに「簡易生検!」と叫び何か準備していた。「部分麻酔しますんでちょっとチクっとしますよー」そしてバキュン、バキュンと衝撃が2度来て、有無を言わさず組織採取が終わっていた。「今日はシャワーだけにして湯船には浸からないでください」検査の結果は来週出るからということで、来週の予約をして帰る。だがどうせ良性だろうと全く心配することなく翌週まで過ごしてしまった。

 翌週クリニックに行ったところ、「がんですねー」とあっさり言われた。

 あまりに唐突すぎて、何の感情もわかなかった。たぶん、本当の意味でちゃんと理解できていなかったということと、母の介護などあって感情を切った生活が当たり前になっていたからだと思う。

 昨今ではいきなり本人に告知するのかーと唖然としつつ他人事のように先生の話を聞いていた。

 先生からこれからの治療の流れの説明を受けた後、このクリニックでは手術はできないのでどこか病院を決めて来るよう言われ、資料をもらって帰宅。ドラマのように「ショックのあまりふらつきながら、どうやって帰ったかも覚えてない」なんてこともなく普通にお惣菜を買って帰った。

 でもここから病院を決めるまでが、孤独な戦いだった。

 

 

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乳がんの記録 はじめに

 先日、乳がんの手術を受け無事退院した。

 宣告されてからここまで来るのに心の揺れはあまりないつもりだったが、実際はどうでもいいようなことで迷いまくる毎日、現実逃避だったのかも。これを機に乳がんブログを立ち上げようかとも思ったが、それほど患者を長くやるつもりもないのでこのブログの中で少しずつ記録していこうと思う。

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