牯嶺街少年殺人事件

 少し前に再見で見たけどなかなか感想が書けなかった。それほど、この作品は私にとって重い。

 私がこの作品を初めて見たのは1995年。自由が丘に当時あった映画館のアジア映画特集で、この作品が最終作品だった。この特集で最初の方に見た作品ですっかり中華系の映画にのめり込んでいたのだが、この作品は最後を飾るにふさわしい重厚さだった。とにかく、この特集と出会ったことで私の旅人生・映画人生はすっかり変わってしまった。それほど衝撃的な出会いだった。この特集のちらしは今でも持っている。

 その後様々な映画を見たのでこの作品のことはあまり思い出さなかったが、監督のその後の公開作は全て見に行ったと思う。リアルタイムに見られたことは、今振り返るとすごく贅沢なことだった。その後監督は若くして亡くなった。この作品が権利関係のトラブルでお蔵入りしていることも知らなかった。

 元々3時間の作品を4時間にし、高画質・高音質でリマスター、各種割引が一切きかないという鳴り物入りの再映に違和感はあったけどとにかく幻の作品に会えると気合で見に行った。

 まず、未成年同士の殺人の話をこれだけ丁寧に掘り下げて描いているというそのこと自体に感心。台湾は殺人とかが少なくて平和でまじめな国なのかなと思う。言っちゃ悪いけど日本ではさして珍しい話ではないから(呆)そして、世相を丁寧に描くことで、少年の行動の背景に不穏な世相があることがわかる。人は自分の意志で行動しているように見えて、世相の影響を受けて行動しているのである。監督のこの考えは、その後の作品の骨子にもなっている。

 時代を経て、自分も台湾の歴史などを少し知ってから見ると色々見えてくるものがあって面白い。主人公一家は日本風の家に住んでいるが、日本人住宅に住めるということはある程度エリート(父は公務員)だということや、両親は大陸出身で仲間同士で話すときは上海語を話してるとか、地元の老いたチンピラは台湾語を話しているようだとか、字幕だけ見ているとわからない色々なことに気づけた自分がちょっと嬉しい。あとは、この監督特有の丁寧な画面の作り方。4時間あっても飽きることがなく画面に集中できる美しさ。

 そして、主役の張震くん。この作品から成長していったんだよね。その後の作品はしかめっ面の辛気臭い役どころが多いけど、この頃のあどけなさが眩しく、愛おしく思える。その他の出演者のその後も知りたいな。成功した人もそれきりの人もいるだろうけどこの作品ではみんな輝いていて、人生を垣間見る思いだ。

 この作品と20年ぶりに再会できて、あの頃の自分と再会したような不思議な感慨がある。作品を見るとあの頃のこと、その後の中国との関わりなど思い出されてくる。今言えることは、幻の作品と言われるこの作品と20年前に出会えていたことは本当に貴重だったということだ。

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April

 映画「ラ・ラ・ランド」を見終わった夜、なぜか頭の中に稲垣潤一の「April」が甦り、口ずさみながら帰った。なんでかわからないけど映画を見て私の頭の中の何かのスイッチが入ってしまったようだ。青春時代(笑)のBGMというか、自分の若い時に流行っていて時代を思い起こさせる曲だったということからかもしれない。でも当時は他にもっと好きな曲がいろいろあって特にこの曲っていうこともなかったのだけど。

 思い出したのを機にYoutubeで聴いてみたら、やっぱりいいな♪作詞が秋元康なのがガッカリだが(笑)、編曲者を見てアッと思った。大村雅朗という人、大沢誉志幸や渡辺美里の曲も編曲している。「この曲いいな~」と思うと編曲が大村さんということが多々あったのだが、気づいたのが最近(爆)コーラスの人も気になるが、ネットの情報ではわからないのでCD借りてくるか(笑)

 そしてやはり春を感じさせる曲ということで「セブンティ・カラーズ・ガール」当時は、いかにもCMタイアップという感じで大して注目してなかったけど今聴くと80年代のキラキラ感にあふれてて夢見心地。そしてCM用というテーマから、よくイメージを膨らませてここまでの曲にしたなと逆に感心したりする。「わがままな女神たち」という言い回しがいいな。80年代イケイケ女性に対するリスペクトが感じられる(笑)

 そんなこんなで、夢見るAprilは過ぎていく。

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挫折を癒す旅

 セツ・モードセミナー閉校のニュースを聞き、学校の最後の姿を見に行った。

 私は20年ほど前に、セツに何回か入学応募したことがある。セツに行こうとした理由はなんと占い師の人に薦められたから(爆)当時仕事のことで悩んでいたのだが、要はここで芸術を学び、芸術方面へ進めというアドバイスだった。あまりに唐突なご宣託で驚いたけど、学費が安いのと入学試験がないので自分でも行けるということで、応募するだけしてみようと思った。当時入学は抽選。抽選も、学校側で選んでくれる方法と自分でくじを引きに行く方法があり、当初は学校に任せていたけど数回外れて自分でやらなきゃだめだと自分で抽選に行ってみた。学校の建物に感動したけど抽選はだめだった。何度か挑戦しているうちにいつしか「セツに受かったら会社をやめよう」という理由づけに変わっていった。それでも受からなかった。そしてセツに入れないまま会社をやめた(笑)

 退職後も抽選に応募したが、当日とあるトラブルで学校に辿り着けないというドラマのような事態になり、これは天の声だと思いこれ以降応募するのをやめてしまった。自分の中で湧いて出るものがなく、学校に行くのが目的になっていると自分でもわかっていたし。そして数年後セツ先生が亡くなり、これで学校に行く意味はなくなったと思った。

 芸術鑑賞は大好きだけど絵なんて描いたことないし学校に行って何かができたとは思えないけど、例え3日でも通えば何か目覚めるものがあって、芸術関係に進めたかもしれない。それほど何かを感じさせる学校のたたずまいだった。入学すら叶わなかったということは私の中でずっと引っかかっていた。

 20年ぶりに訪ねた学校は、最後の別れに来た元学生でいっぱいだった。卒業生のふりをして校内を見て回った。抽選で来ただけだから建物の上の階は初めて。建物のデザインがおしゃれ~それから、校内に漂う芸術の波動がすごかった。やっぱりここで勉強したかった。ここで過ごせたら、芸術関係の才能が少しは花開いたかもしれないのだ。

 いたたまれないのと満足した気持ちとで、それほど長く居ないで学校を離れた。最後に学校を見られてよかった。あの時の挫折感が癒され、本当に諦めがついたというか。

 自分の中の少ない才能を残りの人生でできるだけ発揮していくのがこれからの自分の務めだと改めて決意した。

 

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私の旅人生の変遷

 話題に乗り遅れてしまったけど、てるみくらぶの件は本当に驚いた。てるみくらぶという会社の名前は知っていたけど、いつの間にそんなに有名な会社になってたのか。何回も海外に行ってるのにここまでてるみにご縁のなかった自分が逆にこわい(笑)なのでなぜそうなったのか考えてみた。

 私が海外旅行行き始めの頃は、まず「エイビーロード」を買って、その中で一番良さそうなツアーを見つけたら旅行社に電話して予約をとり、オフィスにお金を払いに行って予約完了という流れだった。てるみくらぶという名前はこの頃雑誌で見たと思う。名前のイメージから「若い子向けにこじんまり、ほのぼのやってる格安旅行社」みたいな印象を持ったと思う。

 そのうち私はひとり旅をするようになったので、航空券だけしか買わなくなった。買い方は相変わらず雑誌で見た旅行社に電話して予約、オフィスに支払に行っていた。何社か使ったけど、いろんなところにオフィスがあるHISがやっぱり便利で段々HISに集約されていった。

 そうこうするうち航空券もHISのサイトで買うようになった。店舗に行かなくていいし、うまく行けばネット限定特売もあるしカードで払えるしとどんどんラクに。でも海外に行く頻度はどんどん減ってきて、今は1年に1度行ければいいほう。宿泊先も、以前はドミトリー利用だったが最近は個室。しかも日本の予約サイトで事前に予約してカードで払って、なるべく現地で現金を使わないようにしている。そんなこんなで、私はてるみとは全くご縁がないまま存在すら忘れていて今日に至る(笑)

 私がてるみと出会わなかったのはとにかく「ツアーで行かないから」に尽きるかな。自分で旅行してみて格安ツアーの裏事情(お土産屋巡りが多いとか)を少し垣間見たので、なんとなくツアーで行く気がしなくなってしまった。何より、それ以前に「一緒に行く人がいないからツアーを使う機会がない(一人旅でツアーは割高なので)」というのが現実なのだが(爆)

 ずっと「普通の航空会社の格安券」利用で来た私だけど、今回初めてLCCを予約してみた。たぶん最初で最後の利用になると思うけど(笑)これからまた新しいシステムが出てくるかもしれないし、私の旅がどう変遷していくか自分でも楽しみ。

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太陽にほえろ

 TVで見たい番組がなくて戦局ボタンをあれこれ押していたら、普段は見ないテレビさいたまで「太陽にほえろ」の再放送をやっているのを発見!懐かしの面々が画面に!小学生の頃、毎週見てたなあ。どのキャラも好きだったけど私はやっぱり殿下!(笑)今見てもやっぱりかっこいい!太目のネクタイとか三つ揃いとかあの頃のファッションが懐かしい。テキサスとかボンとかも若くてさわやかだ。(笑)思わず4:3の画面に見入る。

 チョイ役で水沢アキとか大和田獏が出てたり、今見るとそんなところも面白い。そして昭和の風景、空気感。すっかりあの頃にタイムスリップ。

 やっぱり昔の番組って昔の人間にはしっくり来るね(笑)実家の父がBSで笑点の再放送を見ているのをバカにしていたが、気持ちがわかったよ(笑)

 そして、あの頃小学生だった私は、石原裕次郎がボスを演じていた頃の年を越えてしまっていたのだった…時の流れは残酷だね。


 

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デニーズ1号店

 上大岡のイトーヨーカ堂内にあるデニーズは、実は国内1号店なのだが、この20日で閉店と記事にあった。

 学生時代、上大岡を通って通学していたのでヨーカ堂にはたまに食品の買出しに行っていた。「ここのデニーズが、国内1号店なんだよ」と言われて友人と2、3回来たと思う。その友人は「何かおいしいもの食べに行こう」と言うと「じゃ、デニーズ!」という子でちょっと閉口したけど、田舎もんの私にはアメリカンスタイルのファミレスももの珍しく、パンケーキを食べて幸せ気分だったのを覚えている。

 そんなデニーズが閉店かあ~建て替えとかじゃないのか。もうちょっと調べたら、併設のヨーカ堂が閉店するかららしい。そうなのか~若き日の思い出の場所がまた一つなくなる。どうせ最後は激混みだろうからもう行かないけど、残念だな~

 春は本当、お別れの季節だね。

 

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WBC雑感

 WBCがまた始まった。この21年の振り返りをしている昨今、WBCで思い出すのはそのとき働いていた会社の風景。

 2006年のときは、個人経営の会社で働いていたので日中に職場の休憩室のTVで社長以下男性陣が試合に見入っていた風景を思い出す。そしてたぶん、この頃に今月末で会社に来なくていいと宣告されたのだと思う。準決勝の韓国戦を実家で両親と見た記憶があるけど、この時月末で契約終了になる話をしたかどうかもう思い出せない。この職場のことは悪い意味でずっと記憶に残っていたが、最近ネット検索したらHPがなくなっていた。最近近くに行く機会があったので思い切って建物に行ってみると、ビルのテナントが全部入れ替わっていた。移転か廃業したらしい。すごく有能な社長一人で持っている会社だったので、たぶん会社をたたんだのだと思う。感慨深かった。

 2009年のときは、派遣人生の中で最も長く勤めた職場にいた。平日午前中の決勝戦が気が気でなく仕事しながらネットで経過をちょいちょい確認していた(笑)勝利の瞬間は、他の社員さんが声を上げたので知った(笑)この頃は、仕事も楽しくてなんだか幸せだったなあ。

 その次っていつだっけと調べたら2013年だったので、乳がん手術から復帰して短時間勤務で勤めていた頃だろうか。台湾戦だけすごすぎたのでよく覚えているけど決勝まで行けなかったから記憶から抹殺してた(笑)

 そして今年。TVで直接観戦するとどうも結果が思わしくないので、例の如く他のことをやりながら経過を確認、なんとか勝ってよかった。

 優勝とまでは言わないけど、アメリカへは行ってほしい。

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春節なのか

 今日は新月なので、さあ新月の誓い~と思いながら色々調べていると、今日が春節であることに気づいた。しまった~やられた~毎年、どこかの春節祭りに参加したいと思いながら仕事で行けなかったりして、今年は大チャンスだったのに、不覚にも実家に行く予定を入れてしまった。

 春節といえば、ちょうど20年前、春節前夜(大晦日)に旅に出た。春節大移動の時期なのにたまたま航空券がとれて、シンガポールと香港へ初の海外ひとり旅、しかも夜中に現地着。びびりながら一人でタクシーに乗ったけど、街が見えてくるにつれ美しいライトアップに大感激…、まるで夢のようで一人旅の緊張や恐怖感も吹っ飛んだ。あの旅はいいことや災難も色々あったまさに珍道中だったけど、今日の自分を形作ってくれてるんだな…と改めて感じる。

 中華街もいいけど、やっぱり本場に行ってこそだよね~なんて強がってみる。そんな新月の誓いは「やっぱり海外旅行!」燃油サーチャージが取られない今月中にどこか抑えておくか。
 

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年末は哀しいね

 帰省まであと数日、どうやって過ごそうか迷い中。今日は予約してあったので仕方なくマッサージに行ったけど、実は時間を間違えていたことが発覚。チケットも数日前に確認したのに、いつも18:30予約だから思いこんで18:30に見えてしまった。実際は18:00予約になっていた。会社帰りだと絶対間に合わない時間(笑)事前に気づいてたらキャンセルしたのになあ。年末バーゲン巡りをしたかったから。

 後は見たい映画が2本あるのでそれをこなせばOKと思っていたが、ここへ来てプランタン銀座閉店の情報に気づいてしまった。若い頃、憧れだったデパート。「プランタン」という響きがリッチで幸せそうな感じで好きだった。たまーに行ってぶらぶらしてたけどビンボーな私は服とか買えなかった。地下のスイーツ売り場が最先端だったな。エッグタルトの売り場ができたとき早速買いにいったら、新聞社の人が来てて取材されて、「香港でよく買ってたので、日本にも売り場ができて嬉しいです」なんて答えたこともあった。そんなプランタン、やっぱり最後は見ておくかと。

 そして今日はスマスマ最終回。今までスマスマをきちんと見たことが一度もない非国民の私、その分香港芸能に行ってたからね。帰りの電車でワンセグでちょっと見たけど、ファンじゃないからやっぱりちょっとだるく感じてしまう。そして中居くんの歌のヘタさを改めて思い知る(笑)そういえば、亡くなった母は中居くんのファンだった。

 それから仕事中に、ジョージ・マイケルの訃報を知る。あまり好きじゃなかったけど80年代は流行りまくってたから無視できない存在。80年代以降、クリスマスの時期には絶対”Last Christmas"を聞かされるし。顔がクドめで別にいいと思わなかったけど、当時はああいうソース顔(死語)が流行りの顔だったのだ。そしてネットで調べてギリシャ系と知る。だからあんなに顔が濃かったのか(笑)よく考えれば「ジョージ・マイケル」なんて、名前と名前で苗字がないよね。きっと本名は「ジョージ・マイケル・ヒポポタマス」みたいなギリシャ系の名前なんだろうなと思ったら実際は名前までも本当にコテコテのギリシャ系の名前。若いときの顔しか記憶にないので、近影にも驚いた。53歳という年齢にもびっくり、長い夢から醒めたような気がした。

 見たいTVがなくてチャンネルを変えていたら、デヴィッド・ボウイ特集をやっていて今なんとなくそれをつけている。画面の中の若いボウイと、古めかしいMTVがなんだか切ない。

 若いときに憧れていたものが、届かないうちになくなってしまう感じ。年末はなんだか哀しいね。

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ウェブポで年賀状

 郵便局で年賀状の受付が始まったのを見て、あわててウェブポで年賀状作成。昨年は喪中だったが、喪中はがきは街の印刷屋で作った。なぜならウェブポのフォントにはフォーマルなものがなかったから。ゴシック体の宛先で喪中はがき作る人いないよ(笑)

 そんなわけで2年ぶりのウェブポだったけど、メッセージ欄のフォントは少し追加されていた。お試しで、実家用の年賀状だけ新しいフォントを使ってメッセージを入れてみた。はがきのデザインは、赤が多めで元気でおめでたいイメージで。

 ところで今年はめずらしく喪中や転居のお知らせがなく、住所録がそのまま使えると思っていたが、宛先一覧を見てあっと思った。実家への年賀状は、父と母の連名だった。母はもう施設に入っていたけど、実家が母の本来の住まいだしということで、年賀状は両親連名で送っていたのをすっかり忘れていた。2年前までは、母もまだ存命だったのだと改めて知らされたような気がした。でも心苦しく思いながらも連名欄の母の名前は削除した。

 メッセージ欄は自分で書くので自宅に送ってもらうが、送料無料モードができていたのもありがたかった。少し割引もされて、ウェブポも進歩してるな。

 喪が明けたので今年は少し明るいメッセージを書いて送ろうと思う。そしたら私の数少ない年末ミッションの一つが終わり。


 

 

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