2017/03/11

震災記念日

 あの震災から6年。震災6周年のニュースを見るのが辛い。復興もあまり進んでないし、自分もあまり協力できてないし。震災にあった人の苦しみを思うと痛すぎて耐えられないのでこの件については感情を切るクセがついてしまっている。

 震災の時刻は、美容院のシャンプー台で上を向いて寝てる間に過ぎてしまった。でもいつも心には震災のことがある。

 自分が生きている間に廃炉が終わるかもわからないし、ずっと見守って行かないと。

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2017/03/01

新たな始まりの日

 このブログに何回か書いているが、今日3月1日は私にとって特別な日。21年前のこの日、気晴らしで会社を休んで渋谷をウロウロしたのがきっかけで退職に向けて気持ちが大きく動き出した。そして3か月後には10年辞められなかった会社を本当に会社をやめていた。1年の休養を経て派遣で社会復帰、まさかこの年まで派遣で生活してるとは思わなかったけど、いわばこの21年が始まった日である。

 本当は休んで記念行事をしたかったけど仕事が入ってしまいダメだった。せめてもと会社帰りに映画に行った。21年前は渋谷のシネ・アミューズで映画を見たけど、そういえばいつの間にか閉館してた。この21年、映画館との別れは多かった(泣)最近、新たなサイクルの始まりということで昔のことをよく思い出すのだが、あの頃行っていた施設が閉業したり、そうかと思うとあの頃見た映画がリバイバル上映されたり、とにかく昔の記憶を思い起こさせるようなことが多い。

 今年はまた、色々変化が多い年になりそうな予感。どこへ流れていくのかな…

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2017/01/24

無事、術後4年

 今日は乳がんの術後4年検診の結果を聞きに行ってきた。本当は先週行くはずだったが、仕事で休みづらい行事と当たってしまったので今日にずらした。しかし、大きい病院で予約を変えるって大変なのだ。元々は朝イチで予約してあって、これなら待ち時間はほとんどないのだが時間が遅くなるにつれどんどん押していって午後は予約時間の2時間遅れとかフツー(笑)今回も、予約変更では早い時間に予約が入れられず16時台となってしまった。実質18:00かと覚悟する。

 同じ16時台でも少しでも早い時間を取れればと早めに病院へ向かうが、駅からバスで30分かかり、結局着いたのは1時間前。予約票を見たら16時台で1番!おおスゲー。診療科へ行ったら今回は早くて既に14時台の人の診察に入っていた。診察室の前まで行って予約人数の確認をしたら、16時台ってそもそも予約が一人だけ(爆)急ぐことなかった笑)でも16時まで1時間あるから売店へ買出し。おやつとコーヒーを買って待合へ戻る。コーヒーでひと息ついて、あとは新聞や本をひたすら読む。

 本に夢中になっているうち名前を呼ばれる。思ったより早かった。入るなり、いつも通り「問題はないと思いますね~」と言われる。それより、こちらはクリニックからの手紙を預かっているのでそれを渡さなきゃと気が気でない。手紙を渡して、腫瘍マーカーの値が良くないことを説明。しかし、今回の検査での測定値は全然範囲内だった。数字があまりに違い過ぎて唖然とする。あと、「明日で、手術して4年です」とも言ってみたけど先生にはピンと来ないようだった。そうだよね~毎年100人単位で手術してるんだもんね。

 来年の検査・診断の予約をして、クリニックへの手紙ももらって診察室を出る。診察室に居る間は夢中すぎてなんだかわからなかったが、再発はなかったようだと理解したのは後になってからだった(笑)

 安堵の気持ちと共にバスに乗った。来年も笑ってこの日を迎えられますように。

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2016/10/26

思い出の人の誕生日

 今日も一日仕事に追われ、なんてことなく過ごしてしまったが、ふと今日誕生日の人が2人いるのを思い出した。

 一人は母方の祖母。私が幼稚園児の頃に亡くなっているのでもう40年以上たつのか…闘病で痩せて幽霊のようになった姿しか覚えてないけど、必死に生きる姿は子供だった私の心に深く刻まれている。生き様を見せるということが、年長者が年少者に対してできる何よりの教えだと思う。

 もう一人は中学時代の友人。中1で転校してきて、中3で転校していったので2年ちょいのつきあい。4人グループだったから1対1で接することはあまりなかったけど、彼女と一緒だったあの頃は毎日が少女マンガみたいで楽しかったなあ…私ははまらなかったけど、宝塚の存在を教えてくれたのは彼女だった。13歳の誕生プレゼントでもらったキティのファイルケースはまだ手元にある。とにかく、あのキラキラした日々を彩ってくれた人たちの中に彼女の姿も確かにあった。

 時期こそ違え、私を幸せにしてくれた二人。人との出会い・別れって不思議だな…としみじみ思う秋の夜。

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2016/09/27

転居2周年

 ふと思い出したが、2年前の今日、この部屋を契約した。午前中に不動産屋で契約手続きをして、鍵を借りて部屋に入って引越しの儀式。白一色の部屋でお弁当食べてちょっと寝転んで、この日からこの部屋での生活がスタートしたのだ。2年たっても未だになじんでない感じもあるけど、建物の外観や環境、駅に近くなったこと、行きつけの店に近いことなど気に入っている部分も多く一応契約更新した。

 そしてTVのニュースを見ていて、今日は御嶽山噴火2周年でもあると知る。思い出してみると…不動産屋から戻ってきて昼のニュースで御嶽山の噴火を知ったのかな?そして新しい部屋で過ごしてきてから、夕方から習い事教室に行ったのだ。長野県出身の友人がいたので「御嶽山噴火したみたいだよ~大丈夫?」とか軽く言っていた。予想外にすごいことになっていたのを知ったのは、夜遅く帰ってきてからだった。

 思えば、すごい日からこの部屋での生活がスタートしてたんだな…この部屋に住んだ総括はまだできていないけど、地域でプチイベントの幹事をやるようになったり、20代の頃の失敗のトラウマからやっと解放され、復活しつつあると思いたい。

 あとは、部屋に合うように収入を上げることが目標かな。

 

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2016/05/08

母なき母の日

 今日は母の日だったが、私にとって母のいない初めての母の日になった。元々、母の日でも贈り物とか何ひとつやったことがなかったのだが、昨年、一昨年は施設にお花を持って行った。地元のスーパーで買ったアレンジフラワー、同じデザインのものが今年も店頭に並んでいて、時の流れを感じた。でも、今年はもうあげる人がいない。白いカーネーションでも買って実家へ行くかと思ったけど、先週の連休ミッションで疲れていたし、亡くなってから花を手向けられても、母も嬉しくないだろうと思ってやめた。

 昼にぼんやり見ていた「アッコにおまかせ!」で、世界の母の日が紹介されていて面白かった。他の国ではカーネーションではなくバラを贈ること、オーストラリアでは菊なんだって。その他にネパールではゆで卵を食べるとか。「ネパールのお母さんはゆで卵が大好き」とネパール人が言っていたが、そういえばうちの母とおば(母の姉妹)達もゆで卵が好きだった。ネパール人との思わぬ共通点を発見(笑)自分にもう母がいなくても、微笑ましく番組を見た。

 孫の顔も見せなかった親不孝娘だけど、自分の人生を楽しく全うするのが一番の供養だと思って、強く楽しく生きていこうと思う。また、どこかで会えるかな。

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2016/04/12

あちゃーな祖母の命日

 今日は母方の祖母の命日。桜狂騒曲が終わってひと息ついた頃この日が来る。でも亡くなってからもう40年以上たつんだな…昨年、母も亡くなって祖母のいる世界へ行ったので、改めて時の流れを感じている。

 しかし、現実世界は甘くなく…今朝、左目のコンタクトが変なところに入ってしまって全然出てこなくて、これが一日尾を引いた。仕事をしながらコンタクトを直そうと何回もチャレンジしたのだが、果たせず…利き目じゃない方だったからコンタクトがなくても見え方にあまり影響はなかったけど、くしゃみとかしてまぶたが収縮すると、コンタクトに当たって激痛が走るのだ。充血と、目の違和感と戦う一日になってしまった。

 数日前から「4月11日」というのが妙に気になっていて、なんかあった気がする、あった気がするとずっと引っかかっていたのだが、何かあったのは12日だった。今日実は、会社帰りにヨガのレッスンに行く日だったのだ。しかしそんなことはすっかり忘れて着替えも何も持たず出勤。会社で気が付きあちゃー!!(゚ロ゚屮)屮と思ったがもう遅い。給料日前、レッスン代の節約になったと思って諦める。でも本当は運動すべきだった。

 そしてこのブログを書いている時点で、左目のコンタクトはまだ外せていない(爆)どうなることやら…祖母の追悼どころではなくなってしまったのが情けない日。

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2016/03/19

退職予定だった日

 昨日の話になってしまうが、実は今の仕事、元々は昨日で終わりの予定だった。仕事紹介のとき「約1年の、期間限定のお仕事になりますう」と派遣会社に言われ「なんで?」と思いつつもまず面接に通るかわからなかったし、就業できても1年持つかもわからないので(爆)テキトーに「はい、はい」と言っているうちに就業決定。働き始めてみると期間限定的な仕事内容でもないし、「あれってどういう意味なんだろう…」と疑問に思いながら働いていた。

 おそるおそる派遣会社に訪ねてみると、「派遣法の都合で、そうなっているんですう」つまり、派遣という立場の人を雇えるのが3年間と決まっていて、最初の人が入ったのが3年前の昨日、以降の人は残りの期間を埋めているだけというのである。ちなみに、最初に来た人は他の派遣会社の人だったらしい。この職場はよく仕事紹介のページに情報がのっていて、見つけるたびに応募していたのだがいつも即行でお断りメールが来ていた。しかし人が入れ替わること数知れない訳あり職場になってしまったところで、アラフィフの私にやっとお鉢が回ってきた形なのだ。

 でも個人的にはそんなに嫌な仕事でもなく月次のルーティンを回しているうちにあっという間に半年が過ぎてしまい、そうこうするうち派遣法が変わって、私自身がこの職場に3年間いられることになった。改悪と言われた派遣法変更だが、個人的には追い風になった形だ。

 そして数か月、本来の退職予定だった日を迎えたが、本当にあっという間だった。1年やれば充分と思っていたがまだまだ不慣れだし、折角ここまで覚えてもったいないという気持ちもある。

 1日の勤務時間が短く残業もないので給料が低め安定なのが難点だが、しばらくここで腰据えようと思う。遊牧民ぽくないけどね(笑)

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2016/03/11

震災ウォーク

 震災の日の朝の記憶は出がけに帽子を忘れて「あっやべっ」と思いながら、戻る時間がなくそのまま出勤したこと。そして午前中、職場にお客さんが来て目黒の揚げ饅頭をもらった。3時近くなり、「そろそろおやつにしよう」ともらった揚げ饅頭を食べようとした瞬間、すごい揺れが来た。そしてなんだかんだの後、5時くらいに解散を言い渡され歩いて帰宅することに。帽子を忘れてきたのがこんなに痛手になると思わなかった。私は耳が寒いのに耐えられないので、見た目構わずマフラーを真知子巻き(古っ)にして歩いて帰った。食べそびれた揚げ饅頭は非常食として持ち帰り、結局家で食べた。揚げ饅頭を見ると震災を思い出す。

 今日は震災5周年。5年前を思い出すと共に、次の災害に備えての訓練ということで職場から自宅まで徒歩で帰ってみた。5年前は約16kmを、休憩なども入れながら5時間半くらいかけて帰った。知っている道ということで線路沿い、幹線道路沿いを選んで歩いていたので遠回りになっていた。今回はYahooの路線検索で予め最短ルートを調べておいた。

 しかし、検索で出たルートは本当の最短ルートなため、あまり実用的ではないのよ…とても覚えられないような裏道の嵐(笑)先日、電車が止まっていたのを機に一部分を歩いてみた。確かに近かったけど普通に歩いていたら絶対選ばないような住宅街の細い道。しかも夜にいきなりは歩けないなと思った。

 今日も、昼休みに途中までシミュレーションしたけど結局覚えきれず。雨が降ったらやめようかというヘタレな気持ちだったが雨が上がっていたので結局決行となった。

 最近体力に自信がないので、途中で疲れて歩けなくなるのではという心配をよそに12.5kmを無事歩ききった。休憩も入れて所要時間3時間45分。途中で道がわからなくなり少し遠回りになったけど、後半は教習所の練習で通った道だったりして最後の方は安心して歩けた。途中で夕飯は食べたけど、気がせいてしまいその後休憩はしなかった。座ったら疲れが出て歩けなくなりそうな気がしたから(苦笑)大丈夫だったけどね。

 しかし、今回の帰宅ルートは街灯もないわかりにくい住宅街が多かった。災害時には、途中で休憩したり買出しもできた方がいいので、多少遠回りでも歩きやすくてわかりやすいルートを自分でアレンジしていこうと思う。

 いつまでも震災を忘れない。

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2016/03/01

あの日から20年

 3月1日は、私の人生の分岐点になった日。とある年の3月1日、会社を休んで、サービスデーの映画を見ようと渋谷へ。1本映画を見てから、時間つぶしに街をぶらぶらしていたら、かねてから行きたいと思っていた占いハウスを偶然発見!運命を感じて飛び込んだ。お目当ての先生も偶然空いていてすぐ見てもらえて、「あなたは近々環境が変わる」と言われた。占いの後見たもう1本の映画もすごく印象的で、自分の中で何かが動き始めたのを感じつつ帰宅したのを覚えている。この日から、今まで考えもしなかった退職を真剣に考え始め、3か月後には実行に移していた。いわば人生が変わるきっかけになった日。

 毎年、この日はちょっと意識していたが、今年改めて数えてみたらあの日から20年めだった。あちゃーもうそんなに過ぎてたのか…予想では、もっと活躍しているはずだったのだが。あの時から結局定職についてないし、結婚もしていなく子供もなく、親が死んだ以外に身辺にはほとんど変化がない(爆)

 その他では何をしたかなと思い出すと、何より海外旅行、特に香港にたくさん行った!30代は、香港に恋した幸せな日々だった。もちろん、世の中にはもっともっと世界に羽ばたいている人がたくさんいて私なんてまだまだだけど、貧乏ド平民な私でも結構あちこち行けて楽しかったなあ。

 そして派遣という旅人生。面白い人、面白い会社にたくさん出会って楽しかった。もちろん問題ある会社もあったけど、とにか社会勉強になった。

 会社をやめてからの人生で総じて言えるのは、「基本、自分が楽しく生きているので人を恨まない」ということかな。羨み、妬みはないとはいえないのだが(笑)

 今年の3月1日も、映画を見に行ったのだが残念ながら人生を変えるような映画ではなかった。

 でも、「めでたさも 中くらいなり わが人生」 生きているということが一番大事。

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